全日本選手権と世界選手権とは? わかりやすく解説

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全日本選手権と世界選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:45 UTC 版)

上村春樹」の記事における「全日本選手権と世界選手権」の解説

1973年3月大学卒業すると、世界目指すには東京大阪にいるのが常識だったこの時代に、周囲反対押し切って宮崎県延岡市旭化成柔道部入部入社早々4月29日出場した2度目全日本選手権優勝し日本一柔道家となった上村本人は「抽選悪戯によるマグレ」とコメントしているが、大阪府警柔道師範当時)の広瀬巌大会論評で「柔軟な腰と堂々たる体躯姿勢正しく対戦中は退かず、常に前に出る度胸持った本格柔道家」と上村称賛している。同年10月世界選手権無差別に出場して決勝まで進むも、二宮和弘との日本人対決敗れ準優勝に終わる。 翌1974年4月全日本選手権で、永くライバル呼ばれる遠藤純男警視庁)に敗れてベスト8止まりこの際に“やはり延岡では無理”“上村終わった”と表現されたのが悔しくてそれまでの前か後ろ投げる技だけでなく、横へ崩す技・横へ投げる技を鍛え上げるまた、延岡という地では練習相手になる選手極端に少ない中、同じ境遇鹿児島拠点を置きながら終戦直後全日本選手権3度制した吉松義彦あやかって、膝付き一本負け稽古自分が技を掛ける時や相手の技を受ける時に上村の膝が畳に付いただけでも上村一本負けとなる)を採り入れ加えて自分が技を掛ける時は出す技を予告するなど、かなり独特の練習行った1975年全日本選手権では初戦から3回戦まで僅差判定辛勝し準決勝戦では日の出の勢い勝ち進む同郷熊本出身高校生山下泰裕から大内刈で有効を取り優勢勝ち収めた2年前と同じ高木長之助との顔合わせとなった決勝戦では、両者ポイント無しながら、習得した横捨身技浮技試合終始優勢に進めた上村判定勝となり自身2度目優勝同年10月世界選手権無差別出場した上村は、準決勝戦ショータ・チョチョシビリ当時ソ連代表)と当たった上村は体ごと放り投げられ、頭を打って気絶したが、上村体重が軽すぎた(当時約100kg)ため、勢い余ったチョチョシビリも頭を打ち気絶してしまった。上村の体が運よくがチョチョシビリの体の上落ちたため、そのまま押さえ込みとなり、一本勝ちした。続く決勝戦では前回大会で敗れた二宮和弘判定破り世界選手権での初優勝遂げた

※この「全日本選手権と世界選手権」の解説は、「上村春樹」の解説の一部です。
「全日本選手権と世界選手権」を含む「上村春樹」の記事については、「上村春樹」の概要を参照ください。

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