先行建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 21:22 UTC 版)
モデル線には、神奈川県綾瀬付近(相模川の東) - 小田原付近(酒匂川の西)の区間37kmが選ばれた。小田原 - 平塚(相模川の西)間は敗戦前の弾丸列車計画の段階ですでにほぼ買収済みであり、国立にある研究所からも比較的近く、また長い橋梁や大小のトンネルもあって、走行試験に好都合であった。1959年(昭和34年)4月に東京幹線工事局(東幹工)が設置された。担当区間にモデル線を受け持つ東京幹線工事局はその建設に向けて準備を急いだ。 ただし、すでに買収済みではあったというものの、用地は耕作等の目的で民間人が借用していたため、用地課の職員は離作補償を含む用地返還交渉から始めなければならず、新規買収と変わらぬほどの時間がかかった。角本良平によれば、神奈川県大和市・小田原市間は土地収用法適用の事業認定申請を行っている。また、全線立体交差とするためには地方道については地元との設計協議が必要だったが、これもまた時間と出費を要するものであった。 国鉄の東京幹線工事局は1960年(昭和35年)4月ようやく、東京大阪全区間の工事に先駆けてこの区間の建設に着工した。モデル線区に含まれる酒匂川橋梁と相模川橋梁は1960年(昭和35年)1月に着工していた。 国鉄は、鴨宮駅の西で酒匂川の手前、現在線(今で言う在来線)にモデル線が接する地点で両線に挟まれた細長い三角形の土地に車庫かつ総合試験基地として鴨宮基地を建設し、1962年(昭和37年)4月からは新幹線総局の現業機関モデル線管理区を置いて、車体の組み立て・艤装、試作車と諸設備の試験・検査・整備、乗員と保線要員の養成を行った。また鴨宮基地には試乗者のための仮ホームが設けられた。基地の建物は予算節約のためごく質素であったが、モデル線自体は営業運転が開始されたときにはその一部に組み込まれることに決まっていたので、完全なものが作られた。
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