個々の言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
パウロが書いたと広く認められている7通の手紙には以下のような情報が含まれていて、他の歴史的要素と共に史的イエスを研究するために用いられている。 イエスの実在 イエスが実在しユダヤ人(ユダヤ教徒)であったとパウロが見なしていることは「ガラテヤの信徒への手紙」4章4節に「神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」とあることで分かる。この記述はパウロがイエスの誕生の状況をある程度知っていたことを示しているとするPaul Barnettのような学者もいるが、一般的ではない。しかしイエスの十字架刑以前の生涯についてパウロが何らかの知識と関心を持っていたことをこの記述は示している。 弟子と兄弟 「コリントの信徒への手紙一」15章5節によればパウロはイエスに12人の弟子がいて、ペトロが弟子の一人であることを知っていた。さらにこの手紙を書く前からコリントではペトロをよく知っていたことを「コリントの信徒への手紙一」1章12節が示している。これは手紙の相手がペトロ(ケファ)をよく知っていることを前提としているからである。「コリントの信徒への手紙一」15章5節の記述は、12使徒を指す「十二」がコリントの初期キリスト教会で一般的に知られていて、パウロが特に説明する必要がなかったことを示している。さらに「ガラテヤの信徒への手紙」1章18節はパウロが個人的にペトロを知っていて、回心して3年後にエルサレムで15日間ペトロと過ごしたことを示している。またペトロはガラテヤですでに知られていて、紹介する必要が無かったことも意味している。「コリントの信徒への手紙一」9章5節と「ガラテヤの信徒への手紙」1章19節では、イエスには兄弟がいて、1人はヤコブと呼ばれ、パウロはそのヤコブに会ったあるいは「見た」と言っている。ヤコブは兄イエスの死後、イエスに従う者たちの指導者となって、エルサレムの最初の司教(監督)あるいは大司教であったと、オリゲネスやエウセビオスなどの初期キリスト教の著作家によって主張されている。 引き渡しと儀式 イエスが引き渡され聖餐のような伝統が確立したことは「コリントの信徒への手紙一」11章23-25節「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。「これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」」による。 十字架刑 パウロの手紙には「コリントの信徒への手紙一」1章23節および2章2節や「ガラテヤの信徒への手紙」3章1節などに「十字架につけられた(イエス・)キリスト」という表現がある。イエスの死はパウロの手紙の中心的な要素になっている。「テサロニケの信徒への手紙一」2章15節では、イエスの死の責任をユダヤ人たちに負わせている。この「テサロニケの信徒への手紙一」2章14-16節の「ユダヤ人たちは…主イエス…を殺した……わたしたちをも激しく迫害し」という記述は、イエスの死とパウロたちへの迫害をパウロが同じ時間軸の中でとらえていることを示している。 埋葬 「コリントの信徒への手紙一」15章4節と「ローマの信徒への手紙」6章4節は、イエスが死後埋葬されたと述べているが、墓については言及していない。この言及は同時にパウロが復活の神学を構築するために使っているが、イエスが死後埋葬されたという当時の一般的な考えを反映している。 非存在説 パウロの手紙の中のイエスについての言及がただこれらだけなことが、イエスの歴史的実在を否定する運動の指導者として一般的に受け入れられているG・A・ウェルズ(G. A. Wells, 1926年 - 2017年)による批判を引き起こした。ウェルズはまだイエスの実在を否定していたとき、パウロの手紙には洗礼者ヨハネやユダやイエスの裁判について書かれていないと批判し、イエスは歴史上の人物ではないと結論づけた。J・D・G・ダン(英語版)はウェルズの所説を取り上げ、ウェルズの見解を共有する他の学者を知らないと述べ、他のほとんどの学者は、パウロが手紙の中にイエスの生涯の物語を含めなかったことについて他のもっと妥当な説明をしている。初期の教会内でイエスの生涯の物語がよく知られていた時代に、パウロの手紙は歴史的な年代記ではなく、主に宗教的な文書として書かれたものであると述べた。ダンはウェルズの議論に対して、イエスの非存在説は「完全に死んだ主張」であると述べている。ウェルズはもはやイエスの存在を否定していない。
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