パウロの手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
詳細は「Pauline epistles」を参照 キリスト教資料では、たとえ他の文書すべてを無視しても、パウロの書いた手紙はイエスに関する情報を提供することが出来る。しかしパウロの手紙には史的イエスの生涯を知るための情報はほとんど含まれていない。パウロは人物としてのイエスの存在に言及しているが、十字架刑による死を除けば具体的な記述はほとんどない。「パウロの手紙」のうち、真正とされる数通の手紙は確かにパウロによるものである。パウロは生前のイエスに会ったことはなく、イエスの死後に聖霊から情報を得たと主張している。 『新約聖書』所収のパウロの手紙13通のうち7通は、ほぼすべての学者が本物と考えているが、他の6通は一般的に偽書と考えられている。真正とされる7通は、西暦51年頃に書かれた「テサロニケの信徒への手紙一」、52年から54年頃に書かれた「フィリピの信徒への手紙」、同じく52年から54年頃に書かれた「フィレモンへの手紙」、53年から54年頃に書かれた「コリントの信徒への手紙一」、55年頃に書かれた「ガラテヤの信徒への手紙」、55年から56年頃に書かれた「コリントの信徒への手紙二」、55年から58年頃に書かれた「ローマの信徒への手紙」である。この7通はまたオリゲネスやエウセビオスのようなキリスト教初期の著者によって参照され、解釈されている。 パウロの手紙は一般的に西暦50年から60年頃に書かれたと推定されているので、イエスに関する情報を含む現存する最古のキリスト教文書である。イエスは西暦30年頃から36年頃に死んだと広く認められているので、パウロの手紙はイエスの刑死の約20年後から30年後に書かれたものである。「ガラテヤの信徒への手紙」などはパウロがイエスの弟子たちと出会ったと記録されている時期に書かれたもので、パウロは回心してキリスト教徒になってから3年後にエルサレムに行き、使徒ペトロのもとに15日間滞在したと述べている(「ガラテヤの信徒への手紙」1章18節)。Buetzによれば、この頃パウロはイエスの弟ヤコブとユダヤ人(ユダヤ教徒)として重要な食事制限と割礼を厳守することの重要性をめぐり、イエスの教えの本質について議論した。しかし『新約聖書』には当時2人が話し合ったことについて詳しく書かれていない。その議論の14年後にパウロはエルサレム会議に出席して自らの正統性を確認するためにエルサレムに戻った。 パウロの手紙はイエスの生涯を物語るものではなく、キリスト教の教えを説くために書かれた。パウロの見解では、パウロの手紙を貫徹する主題であるイエスの死と復活の神学が重要であり、地上のイエスの生涯は重要性が低い。しかしパウロの手紙が明らかに示すところによれば、パウロにとってイエスは実在の人物であり、ユダヤ人(ユダヤ教徒)であり、弟子がいて、十字架につけられ、後に復活した。パウロの手紙は、イエスが実在し、十字架にかけられ、後に死からよみがえったという初期の異邦人キリスト教会の一般的認識を反映している。 イエスに関するパウロの言及は、それ自体でイエスの実在を証明するものではないが、イエスの死から20年から30年後、イエスと知り合いだったかも知れない人がまだ生きていた時代に、イエスの実在はエルサレムのキリスト教共同体を含む初期のキリスト教徒に受け入れられた規範であったことを証明している。
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