パウロ以前の信条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
「史的イエスの資料」の記事における「パウロ以前の信条」の解説
詳細は「Creed」を参照 パウロの手紙は執筆時期以前の信条(信仰告白)に言及することがある。例えば「コリントの信徒への手紙一」15章3-4節には「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、」とある。「ローマの信徒への手紙」1章3-4節は、直前の1章2節で既存のものとされていて、事実上既存の信条として扱っているのかも知れない。 パウロ以前の伝統を見分ける鍵の一つは「コリントの信徒への手紙一」15章11節「だから、私にしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。」にある。ここでパウロは自分より前にこの信条を説いた人々について言及している。「コリントの信徒への手紙一」15章3節は、紀元30年代にパウロが数年前のイエスの死について教えられていたことを示しているとJ・D・G・ダンは述べている。 このようにパウロの手紙にはパウロ以前に生まれたキリスト教の信条が含まれている。多くの聖書学者によれば、この信条はイエスの死後10年以内のもので、エルサレムの使徒共同体に由来するものとされている。この信条についてカンペンハウゼン(英語版)は「この記述はこのようなテキストに求められる歴史的信頼性の要求をすべて満たしている」と書いている。またArchibald Hunterは「したがってこの箇所は他に類を見ないほど初期の検証可能な証言を保存している。歴史的信頼性に関するあらゆる妥当な要求を満たしている」と述べている。 これらの信条はイエスの死後数年以内に起源があり、エルサレムのキリスト教共同体の中で発展した。これらの信条は新約聖書の文書の中に埋め込められているが、初期キリスト教のめったにない資料になっている。これはイエスの死後数年、パウロの手紙が書かれる10年以上前からイエスの存在と死がキリスト教の信仰の一部であったことを示している。
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