パウロとユダヤ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:26 UTC 版)
パウロの伝道は異邦人に対しても積極的に行われたため、非ユダヤ人の「キリスト教徒」が多数生まれることになった。このことは後に大きな論争を引き起こすことになる。前述したとおり、この時代の「キリスト教」はなおユダヤ教の一形態であった。最初の数十年間、「キリスト教徒」のほとんどはユダヤ人であり、各地にあるシナゴーグが「キリスト教」普及のための拠点となった。パウロ自身も、新たな都市ではシナゴーグで福音を伝えたのであり、「キリスト教徒」となることが「イスラエルの民」への帰属を意味すると信じていた。 パウロはキリスト教思想において最も重要な人物の一人とされ、ユダヤ教からイエスによって解放されたとする見解がルター以来主流であった。しかし、トロクメによれば、パウロ自身の意識ではユダヤの思想家であり、ユダヤ教内部の論争に関わっていたという。またトロクメは、パウロを「キリスト教の創始者」と考えることを批判し、この考えがイエスを「ユダヤ教の改革者」という誤った位置づけに貶めるものだという。トロクメはパウロの思想がアウグスティヌス以前は正確に理解されているとは必ずしも言えないこと、中世の神学でもあまり重視されていないことを挙げ、パウロにキリスト教における中心的な地位を与えたのはルネサンスと宗教改革であると述べている。
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