伝統花火
伝統花火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:08 UTC 版)
主に歴史のある花火を紹介する。この中には手筒花火の様に地方公演も行うなど地域交流の1つともなっているものもある。 松下流綱火(茨城県つくばみらい市) 別名をからくり人形仕掛花火ともいう。1603年、小張藩主となった松下重綱が戦勝祝いなど陣中で行ったのが始まりとされる。江戸時代になると火難除けと五穀豊穣を祈って愛宕神社に奉納するようになった。 小張松下流綱火は民族芸能の人形芝居と花火を組み合わせた珍しい行事である。高さ10m程度の柱を3本立て、3本の大綱を中心に綱を張り巡らし、人形を操作するための櫓を組み、お囃子に合わせて人形を操りながら仕掛け花火で人形の姿を照らすというものである。 上演外題は『源平盛衰記』や『桃太郎』、安珍清姫日高川場などであり、お囃子も松下以外にも、巫女舞、繰こみ、三番臾など外題(げだい)によって様々である。 人形は外題により上演ごとに藁を束ねたものを使用する。また仕掛け花火の火薬の調合は、1807年の文書『万華火本』が現存[いつ?]しており、それに従った製法が守られている。 高岡流綱火(茨城県つくばみらい市) 「綱火」は、あやつり人形と仕掛花火を結合させ、空中に張り巡らせた綱を操作し、お囃子に合わせて人形を操るもので、別名をあやつり人形仕掛花火とも言う。その歴史は古く、慶長年間から続いており、それを中止すると村内は不幸に見舞われると言われている。 この綱火の起源について確かな記録は残っていないが、慶長年間の愛宕神社祭礼当日、黒蜘蛛と赤蜘蛛の空中での巣作りをみて、その動作から暗示を得て、藁で人形を作り、空中で演技をさせるようになったという。 その後このあやつり人形にたいまつや提灯をつけるようになり、火薬の伝来とともに花火の製造技術を研究し、人形に取り付け神社に奉納し、村内の安全を祈願したといわれる。現在[いつ?]は高岡地区に住む長男だけで組織される更進団により伝統が守られている。 秩父龍勢花火(埼玉県秩父市) 天正年間に始まったといわれる秩父市下吉田、椋神社秋の大祭に奉納される手造りの花火。長さ約15mのロケット花火が300 - 500mの高さまで打ち上げる。 三河手筒花火(愛知県豊橋市・東三河) 直径約10cm、長さは70-80cmの青竹の節をくりぬき、周囲を麻縄で巻きつけた手筒を使用した花火である。氏神に奉納する前日に内部には火薬をたたき詰め、奉納の当日は若衆が脇腹に抱えて点火する。すると炎が時には10メートルを超えて噴出すという勇壮なものである。 手力雄煙火(岐阜市長森) 毎年5月、9月、11月に方策を祈って手力雄命(たぢからおのみこと。手力男命とも)に奉納する花火である。神輿に取り付けた手筒花火や、舞火、滝花火などの種類がある。 流星(滋賀県米原市・近江他) 関ヶ原の戦いの際、関ヶ原から石田三成が本陣を構えた佐和山まで狼煙花火で連絡を取っていたのを真似て今日に伝えたと言われている。 流星で使用されているのは日本の伝統的な黒色火薬であるが、集落ごとに配合が異なり流派を形成している。 篠田の花火(滋賀県近江八幡市) 江戸中期に起源を持つ花火である。硝石と明礬を配合した上で糊を加え、板に絵や文字を描き、それを櫓に取り付けて火を放つというものである。 成羽愛宕神社奉納花火(岡山県成羽) 1704年に成羽領主の山崎義方が愛宕神社の勧請のための奉納花火を催したことに由来する花火大会である。
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