事件発生後の日朝両国の対応とは? わかりやすく解説

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事件発生後の日朝両国の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 07:29 UTC 版)

江華島事件」の記事における「事件発生後の日朝両国の対応」の解説

事件の発生長崎帰港した雲揚からの電報によって知らされ日本政府一時帰国していた釜山理事官森山茂を、長崎にて補修中だった軍艦春日乗せて釜山へと送り釜山において在留日本人保護努めさせた。しかし、釜山では平穏保たれており、朝鮮側開戦意図あるようには見えず内政日本国内混乱している時期でもあったため、日本政府はこの事件に関してはしばらく静観の構え取った一方朝鮮国内では日本船を攻撃したという噂が流れ釜山日本人接す朝鮮側人々大い不安に駆られていた。朝鮮政府事件後、釜山における日本人への対応を一転して丁重なものに変える等、日本側を慰撫するような動き見られ始めたいずれも森山の『朝鮮理事誌』による)。 事件後の1876年明治9年1月黒田清隆特命全権大使とする交渉団が江華府へと派遣されると、朝鮮政府開化派司訳院堂上官呉慶錫を交渉先立つ応接使者派遣するなど日本側に多大な配慮を示す対応を見せた黒田等は派遣前の内諭によって攻撃受けた場合の対応等も予め指示されていたが、開戦回避という一点において日朝政府意図合致していたといえるその後2月11日から江華島条約交渉の席を設けた日朝両国江華島事件対す主張以下の通りである(会談筆記記録による)。 <日本側> 日本政府事前に日本国旗渡して誤認避けるように忠告していたのに事件発生したのは朝鮮側怠慢ではないか黄色い旗を掲げていたという報告受け入れがたい。 雲揚日章旗事件発生時は一旒、被攻撃後に三旒まで増やす)を揚げていたことは間違い無い。 そもそも条約交渉滞っていたこと(書契問題)は、事件同程度重大な問題である。 事件について朝鮮側明確な謝罪求める。 <朝鮮側朝鮮日清両国以外の船(西洋船)が来航する場合武力持って打ち払うことも辞さないという政策を採っていた。(鎖国政策事件同時期に朝鮮国内で英国艦隊来航するという噂があって沿岸陣地神経尖らせていた。 首都に近い江華府は尚更厳重な警戒敷いていた。 事件日本船を西洋船だと誤認したことによって発生した不幸な事故であることは明白である。 日本船と認識していたのなら攻撃などするはずが無い。 事件当時日本船は黄色い旗を揚げていたと報告受けている。(国際信号旗によると、本船乗組員健康に問題なし検疫に関する通行許可求む[要検証ノート]) 書契問題に関して朝鮮側は、1866年慶応2年)末に起きた八戸事件香港在住日本人八戸順叔が清の新聞征韓論記事載せたことから外交紛争となった事件)を持ち出して正当性訴えたが、日本側は「八戸虚説はすでに江戸幕府および対馬藩否定済みである」と相手にしなかった。最終的に日本側の言い分受け入れられ日朝修好条規江華条約)の締結同時に江華島事件条約交渉停滞書契問題)に対す謝罪文手交する形で事件決着した

※この「事件発生後の日朝両国の対応」の解説は、「江華島事件」の解説の一部です。
「事件発生後の日朝両国の対応」を含む「江華島事件」の記事については、「江華島事件」の概要を参照ください。

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