事件当日までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:53 UTC 版)
5月6日に、新東京国際空港公団(以下「空港公団」)が、抜き打ち的に反対同盟が空港妨害のために建てた「岩山大鉄塔」を撤去した。翌日には飛行検査が開始され、反対派が古タイヤを燃やすなどして妨害する中、運輸省のYS-11型検査機「千代田号」が初めて空港に降り立った。 一方、反対同盟員及び新左翼活動家らからなる成田空港建設反対派(以下、反対派)は憤慨し、5月8日に大規模な抗議活動を行うことを企図し、集会届を千葉県警察に提出した。しかし、県警は県公安条例で届出が72時間前に行うことを定められていることを理由に、要件を満たしていないとして拒否した。 反対派は無許可でも抗議集会を決行することとし、会場を芝山町にある山武農協千代田事務所として各セクトに連絡した。これを受けた千葉県警は、会場が空港の第5検問所に近すぎることから、ゲリラによる検問所襲撃が発生することを懸念し、集会を認める代わりに、会場を三里塚第2公園に変更させようとした。この連絡は反対同盟側に伝わらず、反対派は予定通り芝山町に集結することとなった。 集会当日となる5月8日の未明、火炎瓶による第五検問所へのゲリラ襲撃事件が発生し、機動隊員1人が負傷した。 千葉県警は、会場に向かう道路上で検問や規制線を張ることで支援学生や武器の流入を防ぐつもりであったが、朝から大勢の反対派が会場周辺に集まったために警察部隊を動かすことができず、武器を持った学生らが殺到する事態となった。現地に集結したセクトの主力は、第四インター・中革派・革労協であった。集会参加者3,700人のうち地元住民は700人程度であったとされる。 千葉県警は、「公共性が強くないので届を必要しない」との見解を発表して無届で始められた集会を黙認したが、午前11時過ぎに国道296号線に火炎瓶などをもった赤ヘルメットを被った学生らが現れた。学生らはエンジンを吹かした2台の乗用車に火炎瓶を投げつけて炎上させたうえで、機動隊に向けて突入させた。車輌はガソリンスタンドの脇に突っ込んで激しく炎上、付近の林や倉庫に飛び火した。これを切っ掛けとして、3700人の反対派と4000人の機動隊の衝突が発生した。 支援学生らは、投石班・鉄パイプによる武装班・火炎瓶班などに別れて行動し、小型トラックが往復して武器が配られた。午後11時から午後2時までの3時間で火炎瓶約500本を消費し、トラックに満載した約2トンもの石が投石に用いられた。またクロルピクリン入りの瓶の投擲も報告されている。これに対し機動隊は催涙ガス弾(警察公称では「ガス筒」)発射や放水で応戦した。 衝突の最中である午後1時に集会が始まり、戸村一作反対同盟代表は「鉄塔が倒されたといって同盟は崩壊しない。今、鉄塔跡に新たな闘争拠点としてヤグラを建設中だ。法治国家を公言する者たちが自ら法を破ったのだから、われわれは何をしてもよい」と激しいアジテーションを行った。会場からは機動隊への火炎瓶投擲が行われ、これに対して機動隊が催涙ガス弾を撃ち返してきたため、女子供もいる集会会場は大混乱に陥った。この日警察が発射した催涙ガス弾は、訓練用模擬弾約10発を含む310発にも上った。 地元住民らは家屋への延焼を防ごうと水や土をかけたり、敷地に逃げ込んできた学生らに庭を荒らされるなど、この日の衝突の巻き添えをくらうこととなった。
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