事件当時の判断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
中国艦隊が日本軍を砲撃した件については、6月に日本軍の救援隊がニコラエフスク入りした直後、香田一等兵の日記ではっきりと確かめられ、生き延びたロシア人の証言も多数あって、調査が進められた。6月8日、中国海軍吉黒江防司令王崇文(中国語)海軍少将は石坂善次郎陸軍少将を訪れ配下の砲艦3隻はいまだ尼港にあるため確認は取れていないが調査を行っているので真偽は判明するであろうと答えている。 香田一等兵の日記が記した中国砲艦の砲撃は、「日本軍の兵営攻撃」と「後藤隊の残存者が砲撃によって全滅させられたようだ」という二点である。これに対して、中国側の資料としては、砲艦利捷の副官だった陣抜の回顧談を記述した『ニコラエフスクの回想』が残っているが、関与は認めながら、直接的な砲撃ではなく「パルチザン部隊に砲を貸し出した」ということになっている。 陣抜の回顧談によれば、以下のようなことになる。「中国艦隊は幾度も日本軍に行く手をはばまれ、白軍と日本軍に好意を持ってはいなかった。ニコラエフスクにパルチザンが進駐してくると、すばらしい軍隊だと感動し、友好関係を持った。12日夜、ニーナ・レベデワから日本領事館を攻撃するために大砲2門を借りたいと申し出があって、陣世栄艦長が江亨艦の3インチ舷側砲1門と利川艦のガトリング砲1門を貸し、側砲の鋼鉄弾と榴散弾それぞれ3発、ガトリング砲の砲弾15発を与えた」 日本政府は、北京政府に共同調査を申し入れ、9月、両国の委員がニコラエフスクにおいて中国艦隊の関与を確かめた。調査内容は公表されなかったが、当時の新聞報道によれば、日中間には、砲艦の乗員が上陸していたかどうか、直接的荷担か間接的荷担かで、事実認識にくいちがいがあったとみられる。10月26日、この共同調査の結果に基づき、小幡公使は北京政府に以下の和解案を示した。 中国政府が遺憾の意を表すこと 中国砲艦の艦長が日本軍司令部に遺憾の意を表すこと 関係将校下士卒の処罰 中国艦の砲撃によって死亡した日本人遺族に慰謝料を支払うこと 北京政府は、このうちの1と4に難色を示した。しかし年末に至って、中華民国政府は、共同調査報告書の字句修正(陸上交戦を武器貸与に変更)と、報告書と公文書の非公開を条件に、全項目を受諾し、三万元の慰謝料を払うこととなった。 陳世栄艦長は「解任して永久に叙任せず」という処分を受けたが李良才(陳季良)と名を改めて再び任務につき、文虎勳章を授与され将官に昇進すると第一艦隊司令などの重職を任され没後は上将を追贈された。また、共同調査の報告書が「武器貸与」に修正されたことから、現代の中国では関与は直接的なものではなく、間接的なものであった、と認識されている。
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