事件当時の社会情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 15:01 UTC 版)
「玉城村警察官殺害事件」の記事における「事件当時の社会情勢」の解説
1945年の沖縄戦により沖縄本島はアメリカ軍(以下「米軍」と表記)の占領下に置かれ、占領地域の住民は米軍の設置した民間人収容所に収容された。戦闘の終結に伴い、同年10月頃から少しずつ住民の帰村も始められてはいたが、生活・産業基盤の全てが破壊された状態であり、収容所の内外を問わず多くの住民は米軍の管理の下に軍作業への従事、配給食糧の受給によって生活していた。 米軍当局は住民の居住地区を指定し、居住地区外への住民の通行を厳しく規制する一方、米軍人・軍属に対しても住民地区への立ち入りを禁止していたが、軍規を犯して暴行目的等で住民地区に侵入する者が多く、屋外で農作業や洗濯等をしている女性が襲われる事例や、男性が軍作業で出払った隙を狙われて屋内の女性が被害に遭う事例等が頻発した。住民側も自衛のため、女性の外出は極力集団で行うこととしたり、集落毎に警鐘を備え、米兵侵入時には警鐘を鳴らして人を集めて追い払う等の対抗策を講じてはいたが、銃器を携行した軍関係者による犯罪には抗し難かった。 治安維持は、米軍憲兵(MP)によって担われていた他、収容所や集落毎に住民の中から米軍当局によって民警察官(CP:Civilian Policeman)が任命されていた。民警察官も集落の警らや女性の屋外作業への付き添い等により被害の防止に努めていたが、当初は武装が認められていなかった。行政機構の再建・整備のため1945年8月に沖縄諮詢会が発足すると同会に保安部が設けられ、地区毎の民警察を組織化し、警察機構の整備が進められつつあった。
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