事件後に自殺した軍関係者とは? わかりやすく解説

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事件後に自殺した軍関係者(決起者以外)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 15:11 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「事件後に自殺した軍関係者(決起者以外)」の解説

1936年昭和11年2月29日朝、近衛輜重兵大隊青島健吉輜重兵中尉自宅にて、軍刀で腹一文字切腹し喉を突いて自死しているのが発見された。妻も後を追って、腰に毛布巻いて日本刀で喉を突き一緒に自刃していた。 2月29日朝、歩兵第1連隊岡沢兼吉軍曹麻布区市兵衛町の民家土間拳銃自殺3月2日東京憲兵隊麹町憲兵分隊田辺正三憲兵上等兵が、同分隊内で拳銃自殺3月16日電信第1連隊稲葉五郎軍曹が、同連隊内で騎銃胸部撃った10月18日三月事件十月事件にも関与した田中彌歩兵大尉陸士33期首席)が世田谷自宅拳銃自殺した遺書はなく、翌10月19日二・二六事件関連し起訴中の参謀本部陸軍歩兵大尉田中彌10月18日正午ごろ自宅において自決せり」と陸軍省から発表された。田中大尉は「帝都における決行援け昭和維新邁進する方針なり」と各方面打電し橋本欣五郎石原莞爾満井佐吉らの帝国ホテルでの画策にも係わっていた。田中大尉は十月事件以来橋本欣五郎腹心一人であった事件の起こる直前全国同志向かって決起要請電報発送しようとしたが、中央郵便局怪しまれて、大量電報差し押さえられた。その事実が裁判明るみ出そうになったので、田中大尉は一切責任自分一人負って自殺し、その背後関係は闇に葬られた。 歩兵第61連隊中隊長であった大岸頼好大尉直接事件関係ないにもかかわらず、その指導力恐れられて、予備役編入された。部下小隊長をしていた後宮二郎少尉陸士48期)は、父である陸軍省人事局長後宮淳少将(のち大将)が下したその処分不当として、自殺した[信頼性検証]。なお、同少尉自殺動機については、死亡前日式典での軍人勅諭奉読中に読み間違いをし、歩兵61聯隊内で拳銃自殺したとの説もあり、現在でも真相不明である。

※この「事件後に自殺した軍関係者(決起者以外)」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「事件後に自殺した軍関係者(決起者以外)」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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