予備特急の予備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/26 03:30 UTC 版)
「奈良電気鉄道デハボ1100形電車」の記事における「予備特急の予備」の解説
近鉄への吸収合併・670系への改番後も、しばらくは比較的地味な運用への充当が続いていた本形式であるが、合併直後の1965年に思いもよらぬ形で脚光を浴びることとなった。 この年、近鉄が京都 - 大和西大寺 - 橿原神宮駅間に有料特急を新設するにあたって、旧奈良電のクロスシート車であるモ680形(旧デハボ1200形)、モ690形(旧デハボ1350形)、それにク580形(初代。旧クハボ600形)の3形式7両がその専用車に抜擢され、大改装の上で正規特急車(680系)2両編成2本と予備特急車(683系)3両編成1本に再編された。 これはこの新しい有料特急が失敗に終わった場合を考慮して、また予算面での制約もあって特急車を運用充足に必要な最小両数に絞ったことが原因であった。 だが、京都と橿原神宮駅という、近鉄沿線でも有数の観光地群を沿線に有する区間を結び、さらには新幹線にも連絡するこの新しい特急は、近鉄本社の杞憂とは裏腹に、観光客を中心に好評を博した。そのため、同年12月には京都 - 橿原神宮駅間特急の間合い運用として短距離ながら需要の多い京都 - 近畿日本奈良間特急が新設され、さらには1965年3月18日のダイヤ改正で吉野特急が新設されたのに合わせ、京都 - 橿原神宮駅間特急はこれと連絡するようにダイヤが修正され、加えて需要の多い京都 - 近畿日本奈良間特急を1往復増発、それぞれ1日6往復ずつ運転されるに至った。 その結果、京都線特急車は常時3編成の運用が必要となった。このため、同日以降は本来680系の検査時に代走する予備車として改造されたはずの「予備特急車」であり、冷房装置を持たず接客設備面でも見劣りする683系が定期特急運用に恒常的に充当されるという、当初の近鉄当局の想定に無かった事態が発生した。 この事態を重く見た近鉄当局は、急遽、京都・橿原線特急用に冷房装置を搭載した正規特急車を新造することを決定、冷房サービスが求められる同年夏までに683系を定期運用から外すこととした。かくして、予算の都合でモ600形(初代)からの電装品流用となったが、当時の大阪線特急車の主力車種である「新エースカー」こと11400系に準じた車体を備える18000系の製造が近畿車輛で開始された。しかし、車両の新造には時間がかかるため、3月のダイヤ改正から18000系の竣工が予定された6月までの3ヶ月間については、本来683系が果たすものであった定期特急用車両の検査時用予備車、つまり「予備特急車の予備」の役割を果たす車両が必要となった。 これに伴い、当時の京都・橿原線系統の在籍車の中から、近鉄合併後も扉間のクロスシートを維持しており特急として使用可能な接客設備を備えていたモ671・672(旧デハボ1102・1103)に白羽の矢が立った。そこで、これら2両は一般車塗装のままであったものの多少の整備を実施され、680系・683系などと同じ大型の特急ヘッドサインを掲げた状態とした上で、新田辺車庫にて常時待機状態に置かれることとなったのである。 これら2両は正規特急車である680系ばかりでなく、予備特急車である683系と比較しても設備面で大きく見劣りし、また座席数も少なかった。そのため、特急運用への充当回数は最小限に留められたが、「予備特急車の予備」としての待機期間中、正規・予備の両特急車の定期検査時やモ681の自動車事故による修理期間を中心に何度か定期特急運用に充当されており、いわゆる遜色特急であったことから人々の注目を集めた。 もっとも、予定通り1965年6月に18000系第1編成が竣工したことで、これら2両を特急に充当する必然性は無くなり、ここで670系は「予備特急車の予備」の任を解かれている。
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