主な中立国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 15:31 UTC 版)
「第二次世界大戦の参戦国」の記事における「主な中立国」の解説
アイルランド - 中立を宣言したが、数万人の義勇兵がイギリス軍に参戦した。1941年、ダブリンがドイツ空軍によって空襲を受けている(第二次世界大戦中のダブリン空襲)。IRAが秘密裏に北アイルランドの攻撃・占領を目的としてドイツと接触していたとされている。また、1942年に日本軍がシンガポールを陥落させた際は、IRA幹部らが駐ダブリン日本領事を招いて祝賀会を開いたり、在欧外交拠点に対して送金に便宜を図るなどしていた。 アフガニスタン王国 アンドラ - 中立を宣言したが、スペイン軍が駐留している。またスペイン国とヴィシー政権の密輸ルートとして利用されている。1944年にはドイツ軍の部隊が領内に侵入しているが、1945年に退去するまで戦闘行為は発生しなかった。 イエメン王国 サンマリノ - 1944年6月26日に連合国の誤爆を受けた。9月17日にドイツ軍が占領、同日から20日にかけてサンマリノの戦い(英語版)が発生、これに勝利した連合国によって約2ヶ月間占領された。 スイス - フランス占領後、ドイツが侵攻計画(タンネンバウム作戦)を秘密裏に練っていたが、実行されなかった。領空はしばしば両陣営の航空機による侵犯が行われ、戦闘が発生している。1944年4月1日に行われたシャフハウゼンへの空爆では、約40名の死者を出している(第二次世界大戦中のスイスへの空襲)(二度の世界大戦下のスイス(英語版))。1945年のマニラの戦いで在留スイス人が戦闘に巻き込まれ死亡したことで、日本との断交も検討されたが最終的には見送られ、連合国側へのポツダム宣言受諾の通知はスイス政府を通じて行われた。戦後、ナチスの隠し資産が銀行に多数保管されていたことが判明し、中立違反であると非難され、1952年に旧連合国側に対して賠償金を支払っている。 スウェーデン - 冬戦争に義勇軍を派兵したものの、大戦では中立を維持した。国内では両陣営の外交官が活動を行っていた。 スペイン - フランス降伏後に中立を放棄し、中立義務を負わない非交戦を宣言、大戦中期まで情報提供(ミンスミート作戦)や義勇軍派兵(青師団)などで枢軸国に協力する準同盟国的存在であった。しかし枢軸国が敗勢となると中立に回帰した。1945年4月12日に日本と断交するも宣戦布告はせず、満州国と中華民国南京国民政府との国交はそのまま消滅まで維持された(第二次世界大戦下のスペイン)。 チベット - 連合国から援蒋ルートとして使うための領土の通過を打診されたが、拒否している。 ポルトガル - 英葡永久同盟に基づき、アゾレス諸島の利用権を連合国に提供している。しかし、海外領土の東ティモールは日本軍および連合国によって占領されている。ほか、青師団に少数のポルトガル青年団団員が参加している。 バチカン - ローマ空襲 (第二次世界大戦)(英語版)の際に一部建物に被害を受けている。 モナコ - 1942年11月にイタリア王国によって占領され、1943年のイタリア降伏後はドイツによって占領されている。連合国によるフランス解放後の1944年9月以降、大公子レーニエ(のちの大公レーニエ3世)がフランス軍に従軍し、アルザス地方などで戦闘に参加している。 リヒテンシュタイン - ナチズム勢力が増大していたが、総選挙を無期限延期してナチズム化を防いだ。
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