丹後国分寺再興縁起とは? わかりやすく解説

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丹後国分寺再興縁起

主名称: 丹後国分寺再興縁起
指定番号 2474
枝番 00
指定年月日 1992.06.22(平成4.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1冊
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  国分寺再興縁起は、嘉暦三年一三二八)から建武元年一三三四)に至る西大寺派の宣基上人による丹後国分寺再興経緯記録したもので、その成立は『丹後宮津府志』の記事よりみて、建武年間程遠くない頃とみられる
 本書はその南北朝時代遡る古写本で、体裁薄茶唐草〓文散表紙装し冊子本である。現状は各本紙周り切り詰めて四周金箔野毛散らした付廻紙を装し明朝装に改装されているため、原装を詳らかにしない。料紙楮紙で、本文一部片仮名交え、半七行、一行おおよそ八~九字前後行体書写する。文中には本文とほぼ同筆にて墨傍訓、送仮名稠密に施され一部声点付されている。さらに全文にわたり室町期とみられる朱筆傍訓、送仮名、返点や、人名件名には拘点、朱引がみえている。文中第十四丁十六丁に金堂供養の差図があるが、これは改装時に第十三丁十五裏部分を相剥して各一枚したもので、現在の丁数二八丁を数える。
 本文首尾を欠くが、その内容おおよそ三段分けられる
 前段は、国分寺荒廃嘆いた二歳の宣基が、嘉暦三年十月在庁藤原権介助忠の勧めによって興行大願起こし諸方勧進し次第記している。中段は、建武元年四月七日金堂上棟様子棟木銘を引用して記しており、堂供養国衙をあげて行われたことや、造営従事した番匠についてふれている。後段は、金堂供養会の実態詳述するが、その衆僧のほとんどが西大寺系の人々占められている事実は、この再興事業宗派をあげて行われたことを示している。
 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて西大寺律宗教団が、その教線の拡大一環として西国国分寺復興活動あたったことはよく知られているが、その内容具体的に伝えるものとしては、本書唯一の史料である。
重要文化財のほかの用語一覧
書跡・典籍:  中阿含経  中阿含経  中阿含経  丹後国分寺再興縁起  久我通具筆二首懐紙  乙夜随筆  九条殿御集


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