両者の戦力とは? わかりやすく解説

両者の戦力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:53 UTC 版)

コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の記事における「両者の戦力」の解説

アラブ人当初から大きな規模によるコンスタンティノープルへ侵攻の準備進めていた。8世紀後半シリア語書かれた『ズクニーン修道院年代記英語版)』では、アラブ人は「数え切れないほど」いたと記録されている。一方12世紀シリア年代記作家であるシリアミカエル英語版)は、かなり誇張され数字として、200,000人の兵士と5,000隻の船という数字挙げている。10世紀アラブ作家であるマスウーディーは、120,000人の軍隊テオファネス説明にある1,800隻の船について言及している。数年分の物資蓄えられ攻城兵器焼夷弾ナフサ)が備蓄された。前線軍隊への補給部隊だけでも12,000人の兵士、6,000頭のラクダ、そして6,000頭のロバがいたと言われている。さらに、13世紀歴史家バル・ヘブライオス英語版によれば軍隊には聖戦ジハード)のための30,000人の志願兵ムタワ)が含まれていた。ビザンツ側の兵力は全く分かっていないものの、ビザンツ帝国人的資源の枯渇兵力維持するための物資制約両方考慮すると、コンスタンティノープル守備兵は恐らく15,000人を超えていなかったと考えられている。 真の数字がどうであれ、攻撃側兵力防御側の兵力よりもかなり上回っていた。ウォーレン・トレッドゴールドによればアラブ軍の兵力は、ビザンツ帝国軍(英語版全体兵力上回っていた可能性がある。アラブ軍の構成詳細についてはほとんど分かっていないが、大部分ビザンツ帝国戦った経験のある古参兵とウマイヤ朝政権中核をなすシャームジャズィーラ地方出身のアフル・アッ=シャームシリア人)の支配層から成り、これらの人々統率されていたと考えられている。 戦役参加したアラブ軍の指揮官のうち、マスラマ以外の指揮官名前については各史料異なった説明見られるテオファネス説明では、マスラマの副将艦隊率いてキリキア越冬したウマルアモリオンにおいてレオン取引したスライマーン二人とされているが、後者スライマーンについては「死亡してウマル替わった」という記述がみられ、カリフスライマーンおよびウマル混同しているのは明らかである。ニケフォロス説明にも同じ混同見られビザンツ側の史料では少なくとも三人の「スライマーン」を一人人物として混同している。アラブ側史料のうち、タバリーはウマル・ブン・フバイラ(英語版)(フバイラの息子ウマル)のみをマスラマの副将として言及しており、この人物がアモリオン包囲したことになっている『ウユーン』では、このウマル・ブン・フバイラに加えてスライマーン・ブン・ムアーズ・アル=アンタキーとアブドゥッラー・アル=バッタール(英語版)の名前が挙げられている。アガピオスのシリア語史料では、ウマル・ブン・フバイラが艦隊率い、スライマーン・ブン・ムアーズ・アル=アンタキーとバフターリー・ブン・アル=ハサンが陸側の軍隊率いたとしている。 包囲戦ではウマイヤ朝労働力資源大部分消費したものの、包囲戦の期間中アナトリア東部ビザンツ帝国国境地帯攻撃乗り出すことが依然として可能であった717年カリフスライマーン息子であるダーウードがメリテネ(現代マラティヤ)に近い要塞占領し718年にはアムル・ブン・カイスが国境地帯襲撃したビザンツ側の兵力不明であるが、アナスタシオス2世による準備廃位後顧みられなかった可能性がある)を別とすればビザンツ帝国テオドシオス3世アラブ対す同盟盛り込んだ可能性がある条約英語版)を締結したブルガリア帝国援軍見込むことが可能であった

※この「両者の戦力」の解説は、「コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の解説の一部です。
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