世界の軍隊格闘技・近接格闘術における影響
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「柔道」の記事における「世界の軍隊格闘技・近接格闘術における影響」の解説
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界の軍における格闘技というのは基本的に軽視されていた。 戦争はほとんど砲と銃で戦う時代であり、この時代の近接戦闘と言えば主に騎兵が使う軍刀(サーベル)と、歩兵がライフルに装着(着剣)して槍のように使う銃剣で戦うことだった。しかし第一次世界大戦では、大規模な塹壕戦が繰り広げられた。塹壕内での極めて近い距離、狭い場所での戦闘が頻発したことで近距離向きの銃器や手榴弾以外に、敵に悟られないように塹壕に侵入していくことも重要だったため、音を出さない白兵戦用の武器も重視された。そうした白兵戦で敵に対処するために防御側も同様の至近距離での戦闘技術が必要となった。このため各国で近接戦闘の工夫がされていった。塹壕戦によって近い距離で戦う武器術や格闘技術が求められるようになっていったのがこの時代の最大の特徴であり、軍における訓練では近接戦闘のために既存の格闘技を取り入れるようになった。第一次大戦を境に軍隊格闘技・近接格闘術の基として注目された格闘技の一つに日本の柔道や(古流)柔術がある。そしてこの時期の徒手格闘術はボクシングや柔道が中心となっている。 柔道や柔術の日本以外への伝播はちょうど第一次世界大戦前であり、多くの柔道家・柔術家が日本以外に渡って普及活動を行っている。アメリカなどでは第一次大戦前、柔術ブームとでも呼ぶべき現象が起きていた。またそこには当時、日清・日露戦争での勝利に対して世界から向けられた日本への興味、東洋趣味からの観点や、嘉納治五郎の教育者の立場からの部下にあたるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などによる柔道(柔術)の日本以外への紹介、また嘉納治五郎自身の渡欧の影響なども柔道・柔術ブームへの影響が見受けられる。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの信頼を得て合衆国海軍兵学校の教官として講道館柔道を教えた講道館四天王の一人山下義韶(のちの史上初の十段位)などの例や、講道館柔道を学びロシアにおいてサンボの創始者となったオシェプコフの例などから、米露英仏など各国で柔道は軍隊近接格闘技要素に取り入れられていった。 イギリス人のウィリアム・E・フェアバーンが開発し、第二次世界大戦で各国で採用され高評価を得た、現代軍用格闘術の源流・基礎ともいえるフェアバーン・システムにおいても柔道技術は採用されている。
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