ワン・アメリカン・ムービー
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『ワン・アメリカン・ムービー』(One A.M.)は、ジャン=リュック・ゴダールとD・A・ペネベイカーが共同監督作品として1968年に撮影を開始、ゴダールが完成を放棄したアメリカのドキュメンタリー映画。その後、1972年、ペネベイカーの手により『1PM』として完成、公開された。
注釈
- ^ 1968年12月7日、ミッドタウンのホテル・スカイラーの屋上で「ハロー、ニューヨーク!起きろ、クソ野郎ども!音楽はタダだ! いい曲だ!自由な愛だ!」と叫んだ後、「ザ・ハウス・アット・プーニール・コーナーズ」を演奏した。この騒音騒ぎにニューヨーク市警が駆けつけ制止、ライヴ・パフォーマンスは1曲のみの演奏で終了した。この演奏場面とともにビル街の窓からのぞく人々や街の群衆、警察の制止など一部始終がフィルムに収められた。このゲリラ的なライヴはビートルズの「ルーフトップ・コンサート」の元ネタだったと言われているが、真偽のほどは定かではない[3][4]。
出典
- ^ a b c d ペネベイカーの公式サイトの PHF 1PM の記述を参考にした。
- ^ 『ゴダールの神話』(雑誌「現代思想」臨時増刊号、青土社、1995年10月20日 ISBN 4791719921)のp.174から始まる、山田宏一の『ゴダールの決別』には、本作の撮影は「1968年11月」とあるが、その時点ではクレヴァーもヘイデンも会うことは不可能である。
- ^ Runtagh, Jordan (2016年1月29日). “Beatles’ Famous Rooftop Concert: 15 Things You Didn’t Know”. Rolling Stone 2021年12月6日閲覧。
- ^ David E. James (2015). Rock N Film: Cinemas Dance With Popular Music. Oxford University Press. p. 436. ISBN 978-0-19-938761-8
- 1 ワン・アメリカン・ムービーとは
- 2 ワン・アメリカン・ムービーの概要
- 3 スタッフ
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