レーダー照準爆撃とシステム統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:47 UTC 版)
「爆撃照準器」の記事における「レーダー照準爆撃とシステム統合」の解説
第二次世界大戦前には、昼間爆撃と夜間爆撃を比較した利点についての長い議論が行われていた。レーダー導入まで夜間の爆撃機は実質的に撃破不能であるが目標の発見が最も大きな問題だった。実際には都市のような巨大な目標のみが攻撃可能だった。日中の爆撃機は自機の爆撃照準器を用いて小型目標を攻撃できた。ただし敵戦闘機と対空砲部隊に襲われる危険性があった。 1930年代初期の間、議論は夜間爆撃の支持者が勝ち、イギリス空軍とドイツ空軍は夜間作戦専門の航空機で作る、巨大な空中艦隊の編成を始めた。イギリスの政治家スタンリー・ボールドウィンの「爆撃機は常に通り抜ける」の発言のように、こうした兵力は本来が戦略的なもので、主に他国空軍の持つ爆撃機を抑止する。しかし新型エンジンが1930年代中期に導入され、大きく防御兵装を改善し、搭載できる大型爆撃機が登場するに至った。一方でこれらの機体の実用上昇限度や速力が増し、地上砲火による脆弱性を低下させた。方針は軍事目標や工場に対する昼間攻撃に再び変化し、敗北主義的で臆病と見なされた夜間爆撃の方針は放棄された。 この変化にもかかわらず、ルフトヴァッフェでは夜間航法の正確性という問題を解決するため、いくらか努力を続けていた。これは戦争開始時のビームガイド式の電波航法装置に至っている。イギリス空軍は1942年初期に同様の独自に用意したシステムを実施して遅れを取り戻した。それ以来、電波航法システムは精度を増し、全天候下・作戦状況下での爆撃を可能にした。オーボエ・システムは1943年初期に実戦投入され、35ヤードという現実世界での精度を与えており、いかなる光学式の爆撃照準器よりも良好だった。イギリス製のH2Sレーダーの導入によって爆撃機の能力はさらに改善され、射程が照準線に限定される遠隔地からの電波送信なしに目標を直に襲うことができた。1943年、こうした技術がイギリス空軍とアメリカ陸軍航空隊に広く採用され、H2X、またその後の改良版であるAN/APQ-13やAN/APQ-7のようなシリーズの開発に至った。これはB-29スーパーフォートレスに搭載されている。 これら初期システムは、既存の光学式の爆撃照準器とは別に操作されたが、これは爆弾の弾道を別々に計算しなければならないという問題をもたらした。オーボエ・システムの場合、作戦前にこうした計算が地上の基地で行われた。しかし昼間の目視爆撃はいまだに広く行われており、交換や改造では既存の爆撃照準器に速やかに電波信号を再送するようにし、爆撃照準器がレーダー照準爆撃の問題を解決できるようになった。例としてAN/APA-47ではAN/APQ-7からの出力をノルデン爆撃照準器に組み合わせて使っており、爆撃手が照準点を比較するため、容易に両方の画像を確認できるようにした。 電波航法もしくはレーダー技術を使って実施された爆撃結果を分析すると、精度は基本的に二つのシステムとも同等であることが示された。オーボエ・システムを用いた夜間爆撃では目標への命中を得たが、ノルデン爆撃照準器では昼間にも達成ができなかった。レーダーの限られた分解能、航法システムの範囲制限といった運用上の検討事項を除き、目視による爆撃照準器の必要性は急速に消えて行った。戦争後半期の設計では、ボーイングB-47ストラトジェットとイングリッシュ・エレクトリック・キャンベラに光学式システムが残されたものの、これらはしばしばレーダーや電波システムの副装備品と見なされた。キャンベラの場合、光学システムはレーダーシステムの運用可能の遅れを理由としてのみ存在した。
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