リストからの除去
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「第33回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
画像登録名保有国世界遺産登録年危機遺産登録年 ドレスデン・エルベ渓谷 ドイツ 2004年 2006年 詳しくは上の節を参照のこと。世界遺産リストから抹消されたことに伴う除去であり、状況改善による除去とは異なる。 城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔 アゼルバイジャン 2000年 2003年 アゼルバイジャンの首都バクーは様々な文化の影響を受けて発展してきた都市で、アゼルバイジャン建築の傑作と評価されているシルヴァンシャー宮殿や乙女の塔をはじめとする多数の歴史的建造物を擁している。この物件は2000年の大地震で被災した後の復興計画や保護計画に不備があったことや、都市開発による脅威などの問題から危機遺産に登録されていたが、状況が改善されたとして除去された。
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リストからの除去
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「第36回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
フィリピン・コルディリェーラの棚田群(フィリピン)地域の非政府組織の活動などによって、棚田の耕作放棄の問題などに対して、回復・保存の目処が立ったことから除去された。 ラホール城とシャーラマール庭園(パキスタン)周辺の開発に対し、適切な緩衝地域の設定などが行われ、その他の管理体制も整備されたことから除去された。
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リストからの除去
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「第35回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
画像登録名保有国世界遺産登録年危機遺産登録年 マナス野生生物保護区 インド 1985年 1992年 希少生物の生息域として世界遺産リストに登録されたが、少数民族の独立運動に関連する戦闘行為などによって危機遺産リストに加えられていた。しかし、インド政府の努力によって状況が改善したとして、危機遺産リストから除去された。
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リストからの除去
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「第34回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
画像登録名保有国世界遺産登録年危機遺産登録年 ガラパゴス諸島 エクアドル 1978年 2007年 ダーウィンの進化論の発想のきっかけとなった諸島で多種多様の生物が生息している。2007年に登録された際には、移入種の流入、観光産業のコントロールが不十分であること、過度の漁獲の3点が問題となっていた。エクアドル政府の努力により、これらの問題は危機的な状況を回避することが出来たとして、危機遺産登録が解除された。
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リストからの除去
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「第37回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
画像登録名保有国世界遺産登録年危機遺産登録年 バムとその文化的景観 イラン 2004年 2004年 バムは交通の要衝として古くから栄え、アルゲ・バム(バム要塞)を中心とする街は、1722年のアフガン人の侵攻までその機能を保っていた。2003年の大地震で壊滅的被害を受けたことから世界遺産リスト登録と同時に危機遺産にも登録されていたが、状況の改善を理由に危機遺産リストから除去された。
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「第43回世界遺産委員会」の記事における「リストからの除去」の解説
画像登録名保有国世界遺産登録年危機遺産登録年 ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群 チリ 2005年 2005年 19世紀から20世紀に形成された硝石工場や、そこで働く労働者たちが暮らした都市の遺跡である。放棄されてからまともに手入れされてこなかったことなど、保全状況の問題などから、登録と同時に危機遺産リストにも記載されていたが、状況が改善したことから、リストから除去された。 イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路 パレスチナ 2012年 2012年 緊急案件として推薦され、ICOMOSからは否定的な見解も示されていたが、委員会審議の多数決で登録が決まり、建物の損傷なども踏まえて危機遺産リストにも同時に記載されていた。しかし、修復作業などが評価され、危機遺産リストから除かれた。この時点で3件あるパレスチナの世界遺産はいずれも登録と同時に危機遺産リストに記載されており、危機遺産リストから脱した物件は、これが初である。
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