ムツヘタの歴史的建造物群
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ムツヘタの歴史的建造物群(ムツヘタのれきしてきけんぞうぶつぐん)は、ジョージア(グルジア)の古都ムツヘタに残る3件のキリスト教建造物を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件である。かつてイベリア王国の首都であり、グルジア正教会(ジョージア正教会)にとっても重要な地位を占め続けたムツヘタの教会建造物群は、中世コーカサス地方の文化水準の高さや教会建築の様式を伝える優れた例証として評価され、1994年に「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」とともに、ジョージア初の世界遺産として登録された。2009年からは管理計画の問題点などを理由として、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストにも登録されたが、2016年の第40回世界遺産委員会でリストからの除去が決定した。
注釈
- ^ 世界遺産アカデミー (2012) では、ミリアン3世とナナの墓はスヴェティツホヴェリ大聖堂の敷地にあるとされている。
出典
- ^ a b c ICOMOS (1994) p.14
- ^ ユネスコ世界遺産センター (1998) p.92
- ^ a b c ユネスコ世界遺産センター (1998) p.93
- ^ a b c d Historical Monuments of Mtskheta
- ^ ユネスコ世界遺産センター (1998) pp.93-94
- ^ a b c 世界遺産アカデミー監修 (2012) 『すべてがわかる世界遺産大事典・下』マイナビ、p.159
- ^ a b c d ユネスコ世界遺産センター (1998) p.94
- ^ a b c ICOMOS (1994) p.15
- ^ ICOMOS (1994) pp.15-16
- ^ 水村 (2002) p.207
- ^ ICOMOS (1994) p.14(en), p.15(fr)
- ^ 18COM XI Inscription: The City-Museum Reserve of Mtskheta (Georgia)
- ^ 29COM 8B.1 Changes to Names of Properties (Historical Monuments of Mtskheta)
- ^ 『世界遺産年報1997-1998』p.52。以降、『世界遺産年報2005』まではこの表記。
- ^ 『世界遺産年報1995』p.34
- ^ 『世界遺産年報1996』p.58
- ^ 水村 (2002) p.202。この文献では一貫して「ムツヘタ」が「ムッヘタ」と表記されている。
- ^ ユネスコ世界遺産センター (1998) p.90
- ^ 日本ユネスコ協会連盟監修 (2013) 『世界遺産年報2013』朝日新聞出版、p.42。この表記は『世界遺産年報2006』以降、使われ続けている。
- ^ 『世界遺産学検定公式テキストブック(2)』講談社、p.308
- ^ 古田陽久 古田真美 監修 (2011) 『世界遺産事典 - 2012改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、p.99
- ^ 谷治正孝監修 (2013) 『なるほど知図帳・世界2013』昭文社、p.148
- ^ 『新訂版 世界遺産なるほど地図帳』(講談社、2012年)、p.137
- ^ a b ICOMOS (1994) p.17
- ^ 33COM 7B.102 Historical Monuments of Mtskheta (Georgia) (C 708)
- ^ 「第33回世界遺産委員会ニュース」(『世界遺産年報2010』東京書籍)
- ^ Historical Monuments of Mtskheta, Georgia, removed from List of World Heritage in Danger
- 1 ムツヘタの歴史的建造物群とは
- 2 ムツヘタの歴史的建造物群の概要
- 3 登録基準
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