ライオンズ撤退からホークス誘致までとは? わかりやすく解説

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ライオンズ撤退からホークス誘致まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:59 UTC 版)

平和台野球場」の記事における「ライオンズ撤退からホークス誘致まで」の解説

本拠地球団無くなった1978年12月福岡市地元企業による第三セクター興業会社平和台野球株式会社」が設立された。翌1979年には2億6,000万円をかけて、グラウンド西日本初の全面人工芝一新している。このような取り組みにより、1979年以後は主に西武ライオンズ1979年主催10試合含め17試合開催。特に5月にはホーム扱いでの近鉄バファローズ戦7試合8月にはビジター扱い近鉄戦と日本ハムファイターズ戦、並びにホーム扱い阪急ブレーブス戦が各3試合ずつ、計9試合それぞれ集中的に開催された)を中心として、巨人主催によるどんたくシリーズ5月上旬3連戦)など、プロ野球チームによる公式戦年間2030試合程度開催された。 ちなみにこの間、本球場公式戦オープン戦ともに主催・主管試合開催しなかったのは中日ドラゴンズのみだが、これは「原則として中日新聞北陸中日新聞日刊県民福井も含む)の販売エリア主催試合を行う」という同球団方針があったことによる。ただし、他球団主催試合ビジターとなることはあった。 広島東洋カープ公式戦での主催試合は行わなかったが、1981年3月28日オープン戦主催試合(対近鉄戦)を開催しているほか(出典読売新聞岡山版、1981年3月28日テレビ・ラジオ欄九州朝日放送広島ホームテレビ中継)、1984年日米野球ホームゲーム扱い試合開催した(ただし主催読売新聞社だった)。 なお、巨人主催試合読売新聞社報知新聞社スポーツ報知)・日本テレビ主催福岡放送後援による自主興行扱い開催しており、福岡ドーム誕生以降2007年まで毎年継続していた。その後巨人2009年開催したのを最後に福岡県内公式戦主催試合開催実績はない。 1987年7月8日南海ホークスロッテオリオンズサスペンデッドゲーム続行試合が行われたが、これは同年5月23日柏崎市佐藤池野球場新潟県柏崎市)での試合雨天などの影響日没サスペンデッドになったもので、地方球場場合後日球場での開催認められることによる処置として行われた(本来は7月7日予定されていたが、雨天のため順延された)。なお、これはサスペンデッド続き試合地方球場行われた唯一の例だった(ただし専用球場以外という観点見れば1954年の近鉄パールス東映フライヤーズ戦が中断の前、後とも中日(現:ナゴヤ球場行われた例がある)。 また、1984年稲尾和久ロッテ監督就任した際、将来的本拠地当時川崎球場神奈川県川崎市)から本球場移転することを条件監督要請受託したとされているが、実現には至らなかった。

※この「ライオンズ撤退からホークス誘致まで」の解説は、「平和台野球場」の解説の一部です。
「ライオンズ撤退からホークス誘致まで」を含む「平和台野球場」の記事については、「平和台野球場」の概要を参照ください。

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