ライオンズ撤退からホークス誘致まで
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「平和台野球場」の記事における「ライオンズ撤退からホークス誘致まで」の解説
本拠地球団が無くなった1978年12月、福岡市と地元企業による第三セクターの興業会社「平和台野球株式会社」が設立された。翌1979年には2億6,000万円をかけて、グラウンドを西日本初の全面人工芝に一新している。このような取り組みにより、1979年以後は主に西武ライオンズ(1979年は主催10試合を含め17試合開催。特に5月にはホーム扱いでの近鉄バファローズ戦7試合、8月にはビジター扱いの近鉄戦と日本ハムファイターズ戦、並びにホーム扱いの阪急ブレーブス戦が各3試合ずつ、計9試合がそれぞれ集中的に開催された)を中心として、巨人主催によるどんたくシリーズ(5月上旬3連戦)など、プロ野球各チームによる公式戦が年間20~30試合程度開催された。 ちなみにこの間、本球場で公式戦・オープン戦ともに主催・主管試合を開催しなかったのは中日ドラゴンズのみだが、これは「原則として中日新聞(北陸中日新聞・日刊県民福井も含む)の販売エリアで主催試合を行う」という同球団の方針があったことによる。ただし、他球団主催試合のビジターとなることはあった。 広島東洋カープも公式戦での主催試合は行わなかったが、1981年3月28日にオープン戦で主催試合(対近鉄戦)を開催しているほか(出典:読売新聞・岡山版、1981年3月28日、テレビ・ラジオ欄。九州朝日放送・広島ホームテレビが中継)、1984年の日米野球でホームゲーム扱いの試合を開催した(ただし主催は読売新聞社だった)。 なお、巨人の主催試合は読売新聞社・報知新聞社(スポーツ報知)・日本テレビの主催、福岡放送の後援による自主興行扱いで開催しており、福岡ドーム誕生以降も2007年まで毎年継続していた。その後巨人は2009年に開催したのを最後に福岡県内で公式戦主催試合開催実績はない。 1987年7月8日、南海ホークス対ロッテオリオンズのサスペンデッドゲームの続行試合が行われたが、これは同年5月23日の柏崎市佐藤池野球場(新潟県柏崎市)での試合が雨天などの影響で日没サスペンデッドになったもので、地方球場の場合は後日別球場での開催が認められることによる処置として行われた(本来は7月7日に予定されていたが、雨天のため順延された)。なお、これはサスペンデッドの続きの試合が地方球場で行われた唯一の例だった(ただし専用球場以外という観点で見れば、1954年の近鉄パールス対東映フライヤーズ戦が中断の前、後とも中日(現:ナゴヤ)球場で行われた例がある)。 また、1984年に稲尾和久がロッテの監督に就任した際、将来的に本拠地を当時の川崎球場(神奈川県川崎市)から本球場に移転することを条件に監督要請を受託したとされているが、実現には至らなかった。
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