ヤーファとは? わかりやすく解説

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ヤーファ【ヤーファ】(草花類)

登録番号 第5896号
登録年月日 1997年 12月 5日
農林水産植物の種類 アルストロメリア
登録品種の名称及びその読み ヤーファ
 よみ:ヤーファ
品種登録の有効期限 15 年
育成者権の消滅 2000年 12月 6日
品種登録者の名称 アントニウス マリア クンスト
品種登録者の住所 オランダ王国 1424 アウトホールン エルベ 15
登録品種の育成をした者の氏名 アントニウス マリア クンスト
登録品種の植物体の特性の概要
 この品種は,「ウィルヘルミナ」の試験管内培養中の組織放射線照射して得られ変異個体から選抜育成されたものであり,花色側方及び中央外花被が黄ピンク側方内花被先端部が黄ピンク基部が明緑黄暗紅条線が入る,中央内花被は黄ピンクで濃赤茶条線が入る切花向きの品種である。  草丈及び太さは中,色は緑である。全形披針形長さ及び幅は中,表面の色は濃緑光沢は中である。開花方向咲き上がる散形花序分枝数花柄長及び1分枝当たりの花数は中である。花の縦径及び横径は長,花被片の展開度は大,側方外花被全形倒卵形内面花色模様Ⅰ型内面Aゾーンの色は黄ピンクJHS カラーチャート0704),条線の数は極少大きさは大,分布内側のみ,色は濃赤茶(同0709)である。中央外花被全形倒卵形内面花色模様Ⅰ型内面Aゾーンの色は黄ピンク(同0704),条線の数は極少大きさは大,分布内側のみ,色は濃赤茶(同0709)である。側方内花被全形は倒披針形内面花色模様Ⅱ型内面Aゾーンの色は黄ピンク(同0704),Bゾーンの色は明緑黄(同2704),条線の数は多,大きさは大,分布中央部及び下部,色は暗紅(同0110)である。中央内花被全形は倒披針形内面花色模様Ⅰ型内面Aゾーンの色は黄ピンク(同0704),条線の数は極少大きさは中,分布内側のみ,色は濃赤茶(同0709)である。花糸主な色は黄ピンク(同0703),対す柱頭位置より下位花柱主な色は黄ピンク(同0703)である。開花習性二季咲き以上,開花早晩は早である。  「ウィルヘルミナ」と比較して側方外花被中央外花被及び中央内花被内面の色が黄ピンクであること,側方内花被条線の色が暗紅であること等で区別性認められる
登録品種の育成経過概要
 この品種は,1987年出願者の温室オランダ王国)において,「ウィルヘルミナ」に放射線照射して得られ変異個体から選抜し以後増殖行いながら特性の調査継続し1991年にその特性が安定していることを確認して育成完了したのである



ヤッファ

(ヤーファ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 15:59 UTC 版)

ヤーファー旧港

ヤッファアラビア語: يافا Yāfāヘブライ語: יפו Yāfō)は、テルアビブにある地区

概要

4000年以上前の古代都市からの歴史を有するという、イスラエルに所在する地中海に面した港町。現在イスラエルのテルアビブに併合された市街地はテルアビブ中心部からみて南部に位置する。

ヤッファの地名は、アラビア語:يَافَاヤーファまたはヤーファー)とヘブライ語:Yafoヤッフォ)、そのラテン語表記と歴史的変遷によりJapho(ヤーフォ)、Joppa(ヨッパ)、Yapu(ヤプ)などと様々な表記(読み方)が存在する。テルアビブの公式行政単位名には「Tel-Aviv/Yafo」とヘブライ語の「Yafo」が含まれている。

新約聖書使徒言行録に記述される、イエス使徒ペテロが滞在したとされる「皮なめしのシモンの家」がある。

ヤーファーは1950年までテルアビブとは別個の自治体であったが、1950年に北部のテルアビブ市と南部のヤーファー市が合併し、新たにテルアビブ・ヤッフォ市が新設された。

イスラエル建国以来、この地区はイスラエルを代表するスラム街であった。麻薬を打つための注射針などもよく落ちていたと言う。だが、近年になり、ヤッフォの旧市街は「芸術の街」として生まれ変わり、旧市街にはアラブ・ヘブライ劇場も設立されている。ただ、隣接するパレスチナ系住民が多いアジャミ地区は、2010年現在も貧民街のままであり、ユダヤ人による土地の買占めや、行政の怠慢に憤りを感じている住民も多い[1]

ギャラリー

名所旧跡

アンドロメダの岩(ヤッファ)
ヤッファ旧市街にある「皮なめしのシモンの家」の入口
  • アンドロメダの岩
ケドゥミーム広場から西を見ると、地中海に浮かぶアンドロメダの岩が見える。
ギリシア神話によると、ある日カシオペアの放言に怒った海神がケートスを放つ。これに困った国王ケフェウスは、娘のアンドロメダを生贄に捧げる。それを通りすがりのペルセウスが救ったと伝わる。そのとき、アンドロメダが鎖で繋がれた岩がこの岩という[2]
18世紀に建築が始まった、ヤーファー最大のモスク。
16世紀に建てられたモスクが、港近くのハアリヤ・ハシュニヤ通りにある。
ヤーファー北端に1916年に建てられた、オスマン様式のモスク。

脚注

  1. ^ “trend:イスラエル 「アート」でスラム再生”. 毎日新聞. (2010年5月17日). http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2010/05/17/20100517ddm012030077000c.html 2010年5月17日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  2. ^ 地球の歩き方E05 イスラエル 2011~2012年版, p212, ダイヤモンド・ビッグ社

関連項目

外部リンク

座標: 北緯32度3分 東経34度45分 / 北緯32.050度 東経34.750度 / 32.050; 34.750



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