モンローの登場とは? わかりやすく解説

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モンローの登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 14:45 UTC 版)

好感情の時代」の記事における「モンローの登場」の解説

ジェームズ・モンローは、「アメリカ合衆国建国の父」と呼ばれる人びとのなかで最後に大統領になった人物である。フランス特使として派遣され1803年の「ルイジアナ買収」で3代大統領トーマス・ジェファーソン在任:1801年-1809年)を助けジェームズ・マディソン大統領在任:1809年-1817年)のもとでは、6年国務長官務め1814年以降陸軍長官兼任するなど、同じヴァージニア州出身2人先輩手堅く補佐したマディソン信頼厚いモンロー2つ職務懸命にこなし、ワシントンD.C.司令官として志願兵募り正規軍拡大強化尽力するなどリーダーシップ発揮した。とくに、1812年米英戦争の際、一時占領され首都ワシントン復興大きく貢献したことは、モンローの名を高めた1816年アメリカ合衆国大統領選挙ではジェファーソンマディソン2人後援支えられてリパブリカンズの大統領候補となり、フェデラリスツのルーファス・キング大きく引き離して当選した米英戦争反対したフェデラリスツの勢力衰え大統領就任後モンローは、独立以来はじめて、党派対立のないリパブリカンズ主導政治実現することができた。モンローは、アメリカ独立戦争戦った指導者世代として高い権威保った。この時代称して好感情の時代」という。 アメリカ人の間にナショナリズム高揚がみられた時期モンロー政権1819年スペインからフロリダ州購入し1823年には「モンロー主義」を打ち出した。これは西半球においてはアメリカ覇権象徴となったスペインポルトガルから独立始めたラテンアメリカ諸国に対してヨーロッパ列強がこの地を再植民地化するのを防ぐ警告としての意味合いあったからである。一方でロシア帝国北アメリカ太平洋沿岸地域進出するのを牽制する意味もあった。外交ではイギリスカナダ一目置かせ、カリブ海での覇権手中にし、上述通りフロリダ手に入れたまた、ネイティブ・アメリカン犠牲のもとに広大な領土手に入れアフリカから連れてきた黒人奴隷奴隷労働によるプランテーション経営進みアメリカ経済発展したが、一方で奴隷制をめぐる南北対立深刻化した。「いい気持ち」の時代アメリカ合衆国外交の中で最も成功した期間のひとつとなったが、その一方で国内矛盾から将来波乱もたらされる予兆もあった。 モンローは、2期目選挙1820年アメリカ合衆国大統領選挙)では、1人除いた全ての選挙人から支持をえて再選果たした。しかし、肥大化した民主共和党内部対立生じ国民共和党(後のホイッグ党)と民主党へ分裂へと至り、「好感情の時代」は終わり迎えた

※この「モンローの登場」の解説は、「好感情の時代」の解説の一部です。
「モンローの登場」を含む「好感情の時代」の記事については、「好感情の時代」の概要を参照ください。

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