モンローの登場
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ジェームズ・モンローは、「アメリカ合衆国建国の父」と呼ばれる人びとのなかで最後に大統領になった人物である。フランスに特使として派遣されて1803年の「ルイジアナ買収」で3代大統領トーマス・ジェファーソン(在任:1801年-1809年)を助け、ジェームズ・マディソン大統領(在任:1809年-1817年)のもとでは、6年間国務長官を務め、1814年以降は陸軍長官を兼任するなど、同じヴァージニア州出身の2人の先輩を手堅く補佐した。マディソンの信頼厚いモンローは2つの職務を懸命にこなし、ワシントンD.C.の司令官として志願兵を募り、正規軍の拡大強化に尽力するなどリーダーシップを発揮した。とくに、1812年の米英戦争の際、一時占領された首都ワシントンの復興に大きく貢献したことは、モンローの名を高めた。1816年アメリカ合衆国大統領選挙ではジェファーソン、マディソン2人の後援に支えられてリパブリカンズの大統領候補となり、フェデラリスツのルーファス・キングを大きく引き離して当選した。米英戦争に反対したフェデラリスツの勢力は衰え、大統領就任後のモンローは、独立以来はじめて、党派対立のないリパブリカンズ主導の政治を実現することができた。モンローは、アメリカ独立戦争を戦った指導者の世代として高い権威を保った。この時代を称して「好感情の時代」という。 アメリカ人の間にナショナリズムの高揚がみられた時期、モンロー政権は1819年にスペインからフロリダ州を購入し、1823年には「モンロー主義」を打ち出した。これは西半球においてはアメリカ覇権の象徴となった。スペインやポルトガルから独立を始めたラテンアメリカ諸国に対して、ヨーロッパ列強がこの地を再植民地化するのを防ぐ警告としての意味合いがあったからである。一方で、ロシア帝国が北アメリカの太平洋沿岸地域に進出するのを牽制する意味もあった。外交ではイギリスやカナダに一目置かせ、カリブ海での覇権を手中にし、上述の通り、フロリダを手に入れた。また、ネイティブ・アメリカンの犠牲のもとに広大な領土を手に入れ、アフリカから連れてきた黒人奴隷の奴隷労働によるプランテーション経営が進み、アメリカ経済は発展したが、一方では奴隷制をめぐる南北の対立は深刻化した。「いい気持ち」の時代はアメリカ合衆国外交の中で最も成功した期間のひとつとなったが、その一方では国内矛盾から将来の波乱がもたらされる予兆もあった。 モンローは、2期目の選挙(1820年アメリカ合衆国大統領選挙)では、1人を除いた全ての選挙人から支持をえて再選を果たした。しかし、肥大化した民主共和党に内部対立が生じ、国民共和党(後のホイッグ党)と民主党への分裂へと至り、「好感情の時代」は終わりを迎えた。
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