モンローの最後の撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/05 02:47 UTC 版)
「女房は生きていた (1962年の映画)」の記事における「モンローの最後の撮影」の解説
1962年6月1日、モンローの36歳の誕生日に、彼女は、マーティンとウォリー・コックスとのシーンを、庭のセットで撮影した。モンローのスタンドインだったイヴリン・モリアーティは、ファーマーズ・マーケット (ロサンゼルス)(英語版)で、7ドルのシートケーキ(英語版)を買ってきた。スタジオのイラストレーターは、「Happy Birthday (Suit)」と書かれたタオルを持った裸のモンローの姿を描いた。これはバースデー・カードとして使われることになっており、キャストとスタッフが署名を入れた。キャストたちは、マリリンが到着したら直ちにお祝いをしようと思っていたのだが、マリリンをちゃんと丸一日働かせようと考えていたキューカーは、勤務時間の終わる夕方6時までは待つようにと釘を刺した。この日が、モンローがセットに現れた最後の日となってしまう。モンローは、ウォリー・コックスとともにパーティーから先に帰った。彼女はそのに日の撮影に使った毛皮を刈り上げたスーツを借り出したが、これはその夜ドジャー・スタジアムで模様された筋ジストロフィー対策のための資金集め行事に、前夫ジョー・ディマジオや、映画で共演したディーン・マーティンの息子ディーン・ポール・マーティン(英語版)らとともに出席するためであった。
※この「モンローの最後の撮影」の解説は、「女房は生きていた (1962年の映画)」の解説の一部です。
「モンローの最後の撮影」を含む「女房は生きていた (1962年の映画)」の記事については、「女房は生きていた (1962年の映画)」の概要を参照ください。
- モンローの最後の撮影のページへのリンク