モノンガヘラの戦いとは? わかりやすく解説

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モノンガヘラの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/15 09:54 UTC 版)

エドワード・ブラドック」の記事における「モノンガヘラの戦い」の解説

1755年7月9日、ブラドック遠征隊がデュケイン砦の南約9マイル (14 km)の地点抵抗無くモノンガヘラ川を渡ったトマス・ゲイジ中佐率い先遣隊前進始めると、突然にフランス・インディアン連合軍に出遭った。フランス・インディアン連合軍は川に向かって急行している時であり、計画よりも遅れていて待ち伏せをするには時機失していた。ゲイジ部隊とフランス・インディアン連合軍激し乱戦突入しフランス軍指揮官戦死した。しかしその戦死によってもフランス・インディアン連合軍士気衰えず前進続けた今日、モノンガヘラの戦い(荒野の戦い、あるいは、ずばりブラドックの敗北、とも)として知られる戦闘始まった。ブラドックの強力な部隊はほぼ1,500名であり、対するフランス・インディアン連合軍は、900名に満たなかった。 最初の戦闘ゲイジ先遣隊後退した。狭い道のことで、ゲイジ隊は銃声聞いて急速に前進開始したブラドックの主力部隊とぶつかることになった。軍全体隊形がばらばらとなり、カナダ民兵インディアンが道の両側の木陰峡谷からイギリス兵を取り囲んで狙い撃ち続けた。この時にフランス軍正規兵が道を前進しイギリス軍圧力を掛けていった。 イギリス軍士官達は狭い道の上隊列立て直そう務めていたが、ほとんど無駄な行動であり、隠れている敵に目標与えるだけであった大砲使用されたが、そのような狭い戦場では効果無かったイギリス軍付いて来ていた植民地民兵逃亡する反撃するであった。この混乱の中で木陰から反撃していた民兵が敵と間違われて、イギリス正規兵に銃撃されることもあった。 3時間に及ぶ激し戦闘の後で、ブラドックは何度も兵士鼓舞し続けた右腕と肺を撃たれ遂に倒れた激し抵抗そこまでだった。しかし、ワシントン指揮執る立場にはいなかったに拘わらずその後の指揮を執って撤退軍を組織し戦場離れることができた。このことで「モノンガヘラの英雄」という渾名がつき、後世につながる名声を得ることになった日没までに残ったイギリス軍植民地民兵自分達の造ってきた道を通って撤退した。ブラドックはワシントンや他の士官(おそらくロバート・オーム大尉かロバート・スチュアート中佐)に戦場から担ぎ出されたが、戦闘4日7月13日死んだ。ブラドックの遺体はグレート・ミードーズの西、ネセシティ砦埋葬された。ブラドックが埋められた場所は道の真ん中であり、遺体発見され冒涜されたりないようにその上荷馬車転がされた。牧師重傷負っていたので、ワシントン埋葬式取り仕切った。 ブラドック遠征隊の戦闘参加した約1,460名のうち、456名が戦死し負傷者421名に及んだ士官攻撃目標にされたために被害大きく86名の士官のうち、63名が戦死または負傷となったイギリス軍には小間使い料理女として50名程の女性も従っていたが、生き残ったのは4名に過ぎなかった。250名のフランス・カナダ兵は8名が戦死、4名が負傷637名のインディアン戦士15名が戦死12名が負傷であった輜重隊指揮していたダンバー大佐が、残存部隊が戻ってきた時から指揮を執った。ダンバー撤退前に物資大砲破壊命じ、そこで約150両の荷車焼いた皮肉なことに、この時点でもイギリス軍勢力は敵の数を上回っていたのだが、士気落ち組織乱れていたので、それ以上任務継続する気持ち無かった

※この「モノンガヘラの戦い」の解説は、「エドワード・ブラドック」の解説の一部です。
「モノンガヘラの戦い」を含む「エドワード・ブラドック」の記事については、「エドワード・ブラドック」の概要を参照ください。

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