ミメオグラフ
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1884年にはエジソン発明の2つの特許の使用に適したワックス原紙を米国のアルバート・ブレイク・ディックが開発した。ディックは先行して特許を持つエジソンに申し出て製造販売のライセンス契約を結んだ上で、製材業出身の経験を生かして資器材の部材を木製とするなどして3年の歳月をかけて印刷に必要な資器材一式を自力で商品化。自らがシカゴで経営する事務用品販売会社A・B・ディック社が商標登録した「ミメオグラフ」(Mimeograph)に、特許保有者で著名人でもあるエジソンの名を冠した「エジソン=ミメオグラフ」の商品名で1887年、謄写版用品セットの販売を開始した。 ミメオグラフは木箱の中にA・B・ディック0型平台謄写器(印刷器)および鉄筆、ワックス原紙、原紙用修正液、インクローラー、インクなど謄写版に必要な資器材一式をセットにしたもので、新治郎渡米前年の1892年には累計出荷台数が8万セットを超えていた。
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ミメオグラフ
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さらにエジソンは1880年、「オートグラフィック印刷」のうち、製版方法について抜本的に改良した新しい技法を発明した。これは「原紙(stencil paper)を細かく溝を切った金属のヤスリ盤(finely grooved steel plate)の上に置き、鉄筆(smooth pointed steel stylus)で筆記して製版する」方法で、特許第180857号における印刷方法と組み合わせることを想定していた。エジソンは同年2月17日付で米国特許(第224665号)を取得した。 この鉄筆とヤスリ盤を用いた製版技法に適したワックス原紙は1884年、アルバート・ブレイク・ディック(Albert Blake Dick)が開発した。ディックは原紙の特許を申請する一方、先行して同様の技法を考案し特許を取得していたエジソンに申し出て、米国・シカゴで自らが経営する事務用品販売会社、A・B・ディック社との間で特許第180857号および第224665号に基づく製造販売のライセンス契約を結んだ。 特許第180857号に基づくエジソンのオートグラフィック印刷試作品は金属製であったが、製材業出身のディックは軽量廉価で加工しやすい木材に素材を改め、およそ3年をかけて基本となる資器材一式を商品化した。謄写器本体や資器材の収納ケースを木製とするこの商品スタイルは、のち各国の後発メーカーがそろって模倣した。 発売にあたってディックは、当初案の「コピーグラフ」に代わり、友人が提案した「物まね」の意を含む「マイム」(mime)の語を元に「ミメオグラフ」(Mimeograph)と命名して商標を登録。さらに特許保有者で知名度も高いエジソンの名を冠した「エジソン=ミメオグラフ」(Edison-Mimeograph)の商品名で1887年から製造販売を開始した。ミメオグラフは鉄筆やヤスリ盤、木枠付きスクリーンを備えた印刷器(A・B・ディック0型謄写器)、ローラー、インク、原紙、原紙用修正液など印刷に必要な資器材一式を木箱に収めたセットで、謄写版の完成形となった。 さらにA・B・ディック社は1888年、ニューヨーク州のジョン・ブロドリック(John Brodrick)が考案した、新しい原紙の特許(第377706号)を買い取った。これは従来の鉄筆用原紙より丈夫な、タイプライターの打刻による製版を目的とした原紙で、当時欧米でデンタルペーパーと呼ばれた薄手の和紙またはそれに類する多孔質素材を用いるものであった。A・B・ディック社はこの特許に基づき、新たにタイプライター用原紙を発売。1894年には製版専用機をうたったタイプライター(エジソン=ミメオグラフタイプライター1型)を関連商品として発売した。 ミメオグラフの累計出荷台数は1892年には8万セット、1899年には20万セットを超えて国内外で急速に普及。「ミメオグラフ」は謄写版印刷を示す世界的な一般名詞となり、米英語で"mimeo"は謄写版印刷を行う意の動詞ともなった。
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