製版技術の進展と謄写ファックスの登場
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「謄写版」の記事における「製版技術の進展と謄写ファックスの登場」の解説
A・B・ディック社のタイプライター用原紙を皮切りに、欧米では19世紀末にはタイプライターによる製版が一般化し、見出しや図、挿絵などの鉄筆による手製版と併用された。また1920年代には原紙の改良で、それまで製版前に必須だった原紙を湿らせる作業が不要になった。 のちには第二次世界大戦後に普及した筆記具のボールペンを鉄筆代わりに用いて簡便に製版する「ボールペン原紙」や、紙原稿を赤外線で反射投影して感熱紙に複写する米国3Mの感熱複写機「サーモファックス」(Thermofax、1950年発売開始)などを使用し、熱によって原紙のワックスを溶解して製版する感熱製版も出現した。 1956年、画像を電子信号に変換するファクシミリの技術を応用した電子謄写製版機(electrostencil machine)が登場し、日本では製版機およびこの製版方法による謄写印刷全般に対して「謄写ファックス」と呼んだ。装置にはモーターで高速回転するドラムが設けられ、その一端に紙原稿、他端にカーボンブラックを混ぜて導電性を持たせた塩化ビニル製または紙製の「電子謄写原紙」を巻き付けて回転。紙原稿側では光電管で紙の黒白を読み取って電気信号に変換し、原紙側ではこの電気信号に従って針から原紙に放電して生じる電気スパークによって穿孔製版した。 日本では、和文タイプライターによる謄写印刷(タイプ印刷)が印刷業を除き一般ではほとんど行われなかったため、20世紀後半に入ってもなお19世紀のミメオグラフ登場時と同様に鉄筆で原紙を切る手製版の「ガリ版」印刷が主流であったが、レックスロータリー社(デンマーク)製電動輪転謄写機の日本代理店だった事務用品販社・文祥堂(東京都中央区)が1964年ごろから輸入を始めた同社製電子製版機「エレクトロレックス」(ELECTRO-REX)などを皮切りに、紙に鉛筆やペンなどで筆記したものや既存印刷物を貼り合わせた版下がそのまま即座に製版できる簡便性が評価され、1970年代にかけて大量の印刷物を必要とした企業や官公庁、学校を中心に広く普及した。 謄写ファックス製版機は1970年代、外国各社の製品に加え、国内の印刷機械・電気メーカー各社からも次々と発売され、ゲステットナーやレックスロータリーのほか、ゲーハー(Geha)、ロネオ(Roneo)などの外国製や国内各メーカー製の電動輪転謄写機との組み合わせで広く用いられた。 1955年発売のゲステットナー320型電動輪転謄写機(レヒ博物館、イスラエル) 戦後の東側諸国を代表するチェコスロバキアの輪転謄写機メーカー、シクロス労働者協同組合(現・シクロスホルチーツェ)製のシクロスM12型電動輪転謄写機(1960年代)。 東ドイツの輪転謄写機メーカー、グラフィック機械国営会社(のちグラマプリント国営会社、1969年解散)のグラマプリント230型A4電動輪転謄写機(エーバースドルフ学校博物館、ドイツ)。同シリーズのA3判用輪転謄写機は軍用指揮車両の指定装備品にもなった。 1967年発売開始のロネオ865型電動輪転謄写機(左端、南アフリカ国立文化歴史博物館) レックスロータリー1050型電動輪転謄写機(デンマーク、1971年発売)。末期の輪転謄写機はキュービックスタイルが一般的だった。自主管理労組「連帯」が1980年代に西側から密輸して地下活動に使用したもの(グダニスク造船所BHPホール、ポーランド) 日本では謄写ファックスが普及する1970年前後まで、ミメオグラフ登場時の1880年代と同じ鉄筆による手書き製版が主流だった。1987年まで製造販売されたホリイの「ミリアグラフ」(旧木沢小学校校舎、長野県飯田市)
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