マルコ福音書に見られる特徴
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「マルコによる福音書」の記事における「マルコ福音書に見られる特徴」の解説
『マルコ福音書』には他の福音書などとは異なるいくつかの特徴がある。以下に主なものをあげる。 『マルコ福音書』では、マタイやルカにあるようなイエスの系図や幼年時代、あるいは洗礼者ヨハネの誕生に関する物語が一切なく、イエスの公生活から始まる。 イエスはみずからを「人の子」と呼ぶ。これはマルコのキリスト論の核心を示す表現とも言える。『イザヤ書』52章から53章の「苦難の僕」の箇所にあらわれる「人の子」との共通点も指摘される。マルコがイエスを「苦難の僕」と結びつけ、栄光に入ることを示唆するように、キリスト教徒に対して迫害に耐えるよう励ます意図があると考えられる。 1:12-13の「荒れ野での誘惑」ではサタンは登場しない。 2:27「安息日が人のためにつくられた、人が安息日のためにつくられたのでない」というイエスの言葉は過激すぎると思われたのか、マタイとルカの並行箇所では記述されていない。 3:21ではイエスの家族が、イエスの気が狂ったと考えた。 共観福音書の中でたとえ話が12ともっとも少ない。 5:13の悪霊(レギオン)が豚の群れにのりうつる話でマルコのみが二千頭という数字を記す。 6:3では福音書の中で唯一、イエスが「マリアの子」であると記述される。 女性が癒される話が二つ続くが、どちらでも12という数字が用いられる。(5:25、5:42) 6:9-10で弟子を派遣する際に「杖とはきもの」の携行を許すが、マタイとルカの並行箇所(9:3、10:4)ではそれらも許されない。 6:14-29にヘロディアの娘と洗礼者ヨハネに関する話の最も長いバージョンを含む。 7:33ではイエスが指につばをつけて癒す。 8:22ではイエスは目の見えない人をいやすために二度手をおかなければならなかった。 「メシアの秘密」というモチーフ(1:32-34、3:11―12)はマルコのみ現れる。悪魔たちはイエスが神の子と知っている。 『ヨハネ福音書』などと違い、「イエスの愛する弟子」は存在しない。 共観福音書で唯一、「主の祈り」がない。 14:51でイエスの捕縛時、一人の若者が裸で逃げていく。 14:56ではイエスへの偽証はことごとく失敗する。 14:62ではイエスははっきりと自分がメシアであることを宣言。 14:72では鶏は「二度」鳴いた。 15:17ではイエスは王であることを示す紫の服を着せられる。マタイの並行箇所(27:28)では兵士に支給されていた赤いマントを着せられる。 15:21ではキレネのシモンの息子たちの名前が記されている。 15:44では百人隊長がイエスの死を確認する。 16:3では女性たちが「誰が墓石を転がしてくれるだろう」といいあう。 16:5では墓の中、右手に白い長い衣を着た若者が座っている。 若者からイエスの復活を告知され「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(16:8, 訳文は新共同訳による)。 16:15 大宣教命令:「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての作られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」 16:18では復活したイエスが弟子たちに蛇をつかみ、毒を飲んでも害がないという。 「彼(マルコ)はイエスの客観的かつリアリスティックな姿を伝えている」
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