ポルトガル王室の危機
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「ペドロ1世 (ブラジル皇帝)」の記事における「ポルトガル王室の危機」の解説
長い交渉ののち、1825年8月29日ポルトガルは「リオデジャネイロ条約」に調印し、ブラジルの独立を承認した。独立の承認を除けば、ブラジルに無条件のポルトガルへの賠償金の支払いの要求があるなどこの条約はブラジルには不利なものであった。賠償は、ブラジルに常駐していたポルトガル人が被った財産的損失全て、例えばブラジル政府に没収された資産に対して支払われた。ジョアン6世はブラジル皇帝を称する権利を与えられた。それに増す屈辱は、この条約は、ブラジル人が武力で勝ち取ったものではなく、「ジョアン6世の慈悲深い行動として与えられたもの」であることがほのめかされていたことであった。さらに悪いことに、ポルトガルとブラジルの間の交渉を進めるのに関わったイギリスへの褒賞として、イギリスに有利な通商の権利を更新する別の条約と、ブラジルは4年以内にアフリカとの奴隷貿易を廃止することに同意するという協定に調印させられた。この両方ともがブラジルの経済的利益には非常に有害なものであった。 数か月後、皇帝は父王が1826年3月26日に崩御した知らせを受け取った。彼はポルトガル王位を継承しポルトガル国王ペドロ4世となった。ポルトガルとブラジルの再統合が両国国民には容認できないことを知る彼は、すぐにポルトガル王から退位した。5月2日にペドロ1世はポルトガルとブラジルの王位の兼任を諦めた。このことはよく知られているが、ギリシャ王位の打診があったことはあまり知られていない。1822年4月ペドロが摂政王子だったころにギリシャ独立戦争のさなかのギリシャ政府によってギリシャ国王の打診があったが、彼はこれを丁重に断っている。はたしてギリシャ王にはバイエルン王子のオットーがギリシャ王国の国王オソン1世として即位した(Costa 1995, pp. 172–173)。ペドロ1世はまた1826年と1829年の二度にわたりペドロの伯父フェルナンド7世の絶対君主制に反対する自由主義者からスペイン王位の打診を受けている。ポルトガルとスペインの自由主義者は1830年にペドロを「イベリア皇帝」にすることで合意している。何も起こらなかったことから、彼はこの申し出もまた断ったようである(Costa 1995, pp. 195–197)。しかしながらブラジルの歴史家のセルジオ・コレッラとポルトガルの歴史家アントニオ・サルディニャは、わずかながら自由主義者への支援の証拠について論じている。すなわち、ペドロ1世のブラジル皇帝位を退位してポルトガル王である弟とスペイン王である伯父を廃位し、皇帝としてイベリア半島を統治しようとすることを示唆させる誘因の一つであるとする(Costa 1995, pp. 197, 199)。 彼は長女をポルトガル女王に即位させたが(マリア2世)、彼の退位は条件付きであった。ポルトガルはペドロが起草した憲法を受諾しなければならない、またマリア2世はペドロの弟ミゲルと結婚すること、といった条件であった。ペドロは1822年以来この結婚を想定ており、ブラジルに帰還するようミゲルを説得しようとした。 皇帝は弟に以下のようなことを書き送った。「お前にポルトガルから離れないように言う者は後を絶たないだろうが、彼らには糞でも食らえと言えばいい。そして彼らはブラジルの離脱とともに、お前がポルトガル国王になるというのだろう。もう一度糞でも食らえと言えばいい」 。退位したにもかかわらず、ペドロは「本国不在のポルトガル国王」として振る舞い、外交や政府の人事のような内政に介入した 。彼は、少なくともブラジル皇帝の地位とは別にポルトガルでの娘の権益を守ることが困難であることに気付いた。。 ミゲルはペドロの計画を遵守するふりはした。1828年に、彼は摂政と宣言され、カルロッタ・ジョアキナの支持を得るとすぐに憲法を廃止し、ポルトガルの絶対主義者の支援を受け、ポルトガル国王ドン・ミゲル1世を名乗った。愛する弟の裏切りの痛みだけでなく、存命の姉 マリア・テレザ、妹マリア・フランシスカ、イザベル・マリアとマリア・ダ・アスンサオンらのミゲル一派への合流にもペドロは耐えた。彼のいちばん末の妹アナ・デ・ジェズスは彼を裏切らず、のちに彼の近くにいるためにリオデジャネイロに渡った。ペドロは弟への憎悪を募らせ、ミゲルが父王を殺害したという噂を信じはじめ、ポルトガルに目を向け、マリア2世の王権のために海外からの支援を集めようとした。
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