ポルトガル統治期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 18:40 UTC 版)
「ギニアビサウの歴史」の記事における「ポルトガル統治期」の解説
詳細は「ポルトガル領ギニア」を参照 1630年、ポルトガル領ギニア総督府が設立される。ポルトガルは現地部族の助けを借りて奴隷貿易に参入、多くの奴隷をカーボベルデ経由で西半球に輸出した。奴隷貿易の中心地にはカシェウがある。19世紀に奴隷貿易が衰退すると、元は軍事と奴隷貿易の中心地で1765年に成立したビサウが商業の中心地になった。 内陸部は19世紀後半までポルトガルに征服されなかった。またボラマ島をめぐってイギリスとポルトガルの間で紛争がおきたが、米国のユリシーズ・グラント大統領(在任:1869年 - 1877年)の仲介でポルトガル有利で決着した。その後、ポルトガルは1914年に勃発した第一次世界大戦までに精霊信仰者の部族を降伏させ、植民地の境界を定めた。内陸部は30年以上かけて支配下に置いたが、ビジャゴ諸島の完全支配は1936年にようやくなされた。1941年には植民地首府がボラマからビサウに移転した。1952年、植民地から海外州に改称された。 アミルカル・カブラルによれば、ポルトガル植民地時代のギニア、アンゴラ、モザンビークの非識字率は99%に達していた。
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