ベルガラ会長時代(2002年-)
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2002年10月31日、「オムニライフ」という栄養補助食品会社の創設者であり、地元出身のホルヘ・ベルガラがチーバスの経営権を取得した。ベルガラ会長は全てのスポンサーの名前をユニフォームから外し、それ以来ユニフォームスポンサーの数は制限された。ファンド設立を目的とし、ベルガラ会長はチーバスの名前を市場に売り込み、自身が所有する雑誌や飲料ブランドなどでもクラブ名を広めた。 クラウスーラ2003の開幕前には、1980年代にチーバスでプレーしたE・デ・ラ・トーレ監督が就任した。しかし、アペルトゥーラ2003の序盤戦は酷い成績であり、E・デ・ラ・トーレ監督は解任され、クラブのスクールチームで指導していたオランダ人のハンス・ウェステルホフ監督が就任。ワイルドカードでなんとかリギージャの出場権を確保したが、リギージャではすぐに敗退した。アペルトゥーラ2004では攻撃的なサッカーでレギュラーシーズン3位となり、リギージャに進出。キーパーのオスワルド・サンチェス、ラモン・モラレス、オマール・ブラボに加え、新加入のアドルフォ・バウティスタはすぐにファンのお気に入りの選手となった。リギージャ準々決勝ではアトランテを破り、準決勝ではデポルティーボ・トルーカFCを破ったが、決勝ではUNAMプーマスにPK戦の末に敗れた。カルロス・ベラはチーバスの下部組織に所属していたが、2005年のFIFA U-17ワールドカップで活躍し、チーバスでトップチームデビューを果たす前にアーセナルFC(イングランド)に移籍した。2005年のコパ・リベルタドーレスでは準決勝で優勝候補のボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れたが、過去最高のベスト4という成績を残した。2001年にトップチームデビューしたカルロス・サルシードは2006年にPSVアイントホーフェン(オランダ)に移籍。オランダで多くのタイトルを獲得するとともに、メキシコ代表としては100試合出場を達成している。 1980年代にチーバスでプレーしたJ・M・デ・ラ・トーレが監督に就任し、彼の在任中に11回目のリーグ優勝を飾った。アペルトゥーラ2006のレギュラーシーズンは8位だったが、リギージャの1回戦ではCDベラクルスを2試合合計6-1で、準々決勝ではクルス・アスルを2試合合計4-2で、準決勝ではライバルのクルブ・アメリカを破ってトルーカとの決勝に進出した。初戦はエスタディオ・ハリスコで行なわれ、ブラボ(チーバス)とブルーノ・マリオーニ(トルーカ)の得点で1-1の引き分けに終わった。第2戦はエスタディオ・ネメシオ・ディエスで行なわれたが、2-1で勝利したチーバスは2試合合計3-2として11回目のリーグ優勝を決めた。1点目はフランシスコ・ハビエル・ロドリゲス、2点目はバウティスタによるものだった。バウティスタは試合前に亡くなった母親にゴールと勝利を捧げた。アペルトゥーラ2006終了後、キーパーのサンチェス、バウティスタなどが退団し、クラブは変化の時を迎えた。ハレド・ボルヘッティ、カルロス・オチョアなどが加入し、セルヒオ・アマウリなどもチームに加わった。クラウスーラ2007では生え抜きのブラーボが得点王となった。ブラボは2008年、レジェスに次いで2人目となるクラブ通算100得点を達成している。 アペルトゥーラ2007のシーズン中にJ・M・デ・ラ・トーレ監督が解任され、エフライン・フローレス監督が引き継いだ。その後任のオマール・アレジャーノ監督は、リーグ戦1試合とコパ・リベルタドーレス2試合を指揮しただけで退任し、フランシスコ・ラミーレス監督は過去7年間の監督中最低の勝率にとどまった。ラミーレス監督が解任されると、ネカクサやサン・ルイスFCで監督を務めたラウール・アリアス監督が就任した。2009年1月にはインテルリーガで優勝し、コパ・リベルタドーレスの出場権を獲得。同大会ではグループリーグを突破したが、決勝トーナメント1回戦の直前に大会からのリタイアを余儀なくされた。これは、新型インフルエンザがメキシコを中心に拡大し、多数の死者が出たためである。それにより、決勝トーナメント1回戦の対戦相手であるサンパウロFC(ブラジル)がメキシコ遠征を拒否し、同じメキシコのサン・ルイスFCとともにチーバスの大会離脱が決定された。同年11月4日にはアリアス監督が解任され、ホセ・ルイス・レアルが監督に就任。ビセンテナリオ2010では爆発的なスタートを切り、開幕戦から8連勝のリーグ記録を樹立した。第9節は下位のチアパス戦だったが、0-4で敗れて連勝記録が途切れた。レアル監督は多くの若手有望選手を試合に起用し、選手は監督の期待に応えた。チームはトルーカに次ぐ2位だったが、ハビエル・エルナンデスは得点王(タイ)を獲得した。エルナンデスはシーズン終了後にマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)に移籍した。 2018年には、CONCACAFチャンピオンズリーグを第1回以来56年ぶりとなる優勝を果たした。FIFAクラブワールドカップでは準々決勝でアジア王者の鹿島アントラーズに2-3で敗れた。
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