ベイリー橋の開発
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英陸軍が重量化したチャーチル戦車の時代を迎えた頃、その戦車をどのように起伏のある地形に運び込むかが大きな問題となった。英国戦争省の文官ドナルド・ベイリーは、1940年に封筒の裏にベイリー橋の原型となる設計図のアイデアをメモした。1941年2月14日、軍需省はベイリーに5月1日までに本格的なプロトタイプを完成させるよう要求した。ベイリーは王室工兵隊チームと共にその開発にあたり、ドーセット州クライストチャーチの兵舎地区にある工兵技術実験施設 (MEXE) で様々な実験と検証を重ね完成させた。封筒の裏に記した最初のメモから半年足らずでその現物モデルを完成させるという驚異的なスピードであった。現在、クライストチャーチにはその時の最初の試作品が残され、スタンピット湿地帯自然保護区のなかの歴史的観光名所のひとつ (プロトタイプ・ベイリー・ブリッジ) となっている。 ベイリー橋の規格生産は1941年7月に始まり、1941年12月までにイギリスの工兵部隊に供給された。モジュール (組み立てユニット) の基本部品は鋼鉄のグリッドやビームとビスなど基本的に使用されるのは17の部品だけで、橋桁を作るのに使われるのはさらに9つの部品のみ。いままで橋梁建築に関わったことのないメーカーでも簡単に製造できるものであった。1941-45年の生産量は驚異的で、合計49万トンを超えるベイリー橋が製造され、それは200マイル(320km)の固定橋と40マイル(64キロメートル)の浮橋に相当するものだった。 1943年の設計基準はこのようなものであった。 基本的なコンポーネントは規格化され、完全に交換可能でなければならない 個々のコンポーネントは、6人以下で持ち運び可能でなければならない。 構成部品は、3トンの軍用トラックで輸送可能でなければならない。 橋建設は軍事攻撃目的のためであり、迅速に構築可能でなければならない。 コンポーネントは、さまざまな強度と幅の橋を提供するため、汎用性がなければならない。 英国工兵隊は1942年に北アフリカで始めて使用した。1942年11月下旬、チュニジアでドイツ軍が破壊したローマ時代の橋を237陸軍工兵隊はベイリー橋で100フィート補修した。
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