ヘンリー1世 (イングランド王)
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ヘンリー1世(Henry I, 1068年 - 1135年12月1日)は、ノルマン朝第3代イングランド王(在位:1100年 - 1135年)。ノルマンディー公アンリ1世(Henri I, 在位:1106年 - 1135年)でもあった。通称は碩学王(せきがくおう、Henry Beauclerc)。
- ^ フランドル伯位はロベール2世から息子ボードゥアン7世へと継承されたが、ボードゥアン7世亡き後にフランドル伯となったシャルル1世は1127年に家臣に暗殺され、空位になったフランドル伯位をルイ6世がギヨームに与えた。しかしルイ6世の傀儡だったギヨームは諸都市と対立したため、対抗馬として都市が推したティエリー・ダルザスとの争いになり戦死、フランドル伯位を手に入れたティエリー・ダルザスはヘンリー1世へ臣従したため、結果的にヘンリー1世にとっては宿敵が消えて味方が増えたことになる。朝治、P28、P200 - P201、君塚、P56。
- ^ ヘンリー1世は国王不在でも統治を行う組織の確立、および王が家政組織を率いてイングランド・ノルマンディー両国を巡回・統治して全体の統一を図る方法を取り、在地統治組織と君主の家政組織の分離が進んだ。前者は最高法官・イクスチェッカー・常任裁判官が、後者は宮廷財務室・尚書部・宝蔵室が担当した。青山、P223 - P224、君塚、P51。
- ^ a b c d e f g h i 松村、P322。
- ^ 森、P28。朝治、P21、君塚、P45。
- ^ 森、P28 - P29、青山、P220 - P221、君塚、P46 - P49。
- ^ a b c 青山、P221。
- ^ 松村、P642、朝治、P23 - P25、P199 - P200、君塚、P49 - P50。
- ^ a b ルゴエレル、P29。
- ^ a b c d e f g 君塚、P53 - P56。
- ^ 朝治、P25 - P26。
- ^ 朝治、P26 - P27。
- ^ ルゴエレル、P29 - P30、朝治、P27 - P29。
- ^ 青山、P221 - P222、ルゴエレル、P30、朝治、P27 - P29。
- ^ フレデリック・メイトランド『イングランド憲法史』創文社、1981年、14頁。
- ^ 森、P29。
- ^ 青山、P222 - P223、君塚、P50 - P51。
- ^ 青山、P224 - P225、君塚、P51 - P52。
- ^ a b 森、P30。
- ^ 青山、P222 - P223、山代、P80 - P81、朝治、P23、君塚、P49。
- ^ 青山、P302 - P304、P330 - P332、P337、朝治、P234。
- ^ 山代、P5 - P6、P88 - P89、P166。
- ^ 朝治、P182。
- ^ 山代、P5、P106 - P110。
- ^ 森、P31 - P34。
- ^ 森、P34 - P35、ルゴエレル、P31、朝治、P29、P234 - P235。
- ^ 森、P37 - P38、青山、P225 - P227、ルゴエレル、P31、君塚、P56 - P60。
- ^ ヘンリー・オブ・ハンティングドン『アングル人の歴史(Historia Anglorum)』12世紀、森、P35。
- 1 ヘンリー1世 (イングランド王)とは
- 2 ヘンリー1世 (イングランド王)の概要
- 3 伝承
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