ヘルツの演出におけるワーグナー『ニーベルングの指輪』
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「ヨアヒム・ヘルツ」の記事における「ヘルツの演出におけるワーグナー『ニーベルングの指輪』」の解説
1973年から1976年にかけて、ヨアヒム・ヘルツはライプツィヒ歌劇場で『指輪』の全4部作を上演した。主にヴィーラント・ワーグナーの作品に影響を受けた当時の演出方法とは対照的に、彼はリヒャルト・ワーグナー自身に四部作の概念的な鍵を求めた。特に1848年革命のバリケード闘士となった彼の社会革命的な考え方は、数多くの著作の中で説明されている。1848年、ワーグナーは『指輪』の詩を書き始めている。ヘルツはこの時代と内容の一致に注目し、『指輪』を「19世紀の階級闘争を描いた劇」と解釈した :S. 29.。「ワーグナーはこの19世紀の階級闘争の悲劇を(哲学的・歴史的な意味での)疎外と捉え、たとえ話のような形式とするため北欧神話を選び疎外を表す衣裳としてかぶせ、その物語の中で(主体と客体の)決定的な対立の瞬間を得た」(ヨアヒム・ヘルツ)。演出チームは、ジョージ・バーナード・ショーの『指輪』の分析書『The Perfect Wagnerite: A Commentary on the Niblung's Ring(英語版)』(1889年にロンドンで出版)からも、本質的な刺激を受けていた。ショーは、ワーグナーの四部作を、19世紀の社会経済的な激動の反映であると解釈した最初の人物である。 ライプツィヒの演出は、ヴァルター・フェルゼンシュタインが開発したリアルな「ムジークテアター」の原理をワーグナーの『指輪』に初めて適用した。ヘルツと四部作の指揮者であるゲルト・バーナー(ドイツ語版)と、舞台美術と衣装を担当したルドルフ・ハインリヒ(ドイツ語版)は、ともにフェルゼンシュタインの教え子であった。概念的な準備作業(1972年7月から9月):S. 21. において、ヘルツとハインリヒは、『指輪』の解釈における内容と演出の核心部分と、視覚的な世界を作り上げた。アルベリヒが指輪に鍛造した金は、「第一に美しい自然そのもの」という概念であり、それが芸術的に扱われた自然(指輪)に変化する。これは交換の対象としても適しており、最終的に「普遍的な交換価値の基礎」に変化する。 「指輪は原理である:それは資本の本源的蓄積の可能性を意味する。富と権力の強化を意味する」(ヨアヒム・ヘルツ) :S. 32.。ヘルツとハインリヒは、彼らの解釈において、指輪を金の拳の形にした。「真鍮の拳のように見える人間の拳の変化」:S. 33.。「神々の黄昏」の終わりに、指輪は再び「金の布、金の網、ベールのような夢と波。それらとともにラインの乙女たちは、ゴンドラでレースの上に浮かぶ」:S. 30.ように変化する。 ハインリヒがデザインした視覚的世界の特徴は、歴史的に意味付けられた断片をコラージュしていく技法であり、それはメルヘンや抽象的な要素で疎外を表現していた。このようにして、彼は歴史と超時間的神話との間の対応関係を作り上げた。神々の城であるヴァルハラは、ブリュッセル最高裁判所(英語版)、ゴットフリート・ゼンパーによるウィーンのブルク劇場の階段、トリノ大聖堂(英語版)のガラスのドームを組み合わせたものであった。 『指輪』の解釈の本質的な問題は、「神々の黄昏」の終わりに実際に滅びるものは何かということであった。世界そのものなのか、それともヴォータンの世界なのか。ヘルツとハインリヒは、ここで滅びるのは、ヴォータンとその敵であるアルベリヒ(両方のライトモティーフの音楽分析から神々の父の別人格(オルター・エゴ))の世界であると導き出した。その結果、ヘルツは「ジークフリートの葬送行進曲」をヴォータンの退位と再解釈した。神々の父(実際にはこのオペラには登場しない)が、さびれたの鷲の鉄塔の列を歩き敬礼する。ライプツィヒ作品の最後のシーンでは、ワーグナーによって定義されていない男女が空のステージに立っていた。「終わりはタブラ・ラーサ(白紙)である。古いものは一掃された。今、新しいものが始まる。新しいものがどうなっていくのか、この時点では示すことができない。ワーグナーもわからないのだ。」(ヨアヒム・ヘルツ):S. 30.
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