プジョー委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:14 UTC 版)
モルガンは恐慌への対応で一時称賛を浴びたが、金権体質と蓄積された富に対する不安から、その声はやがて影をひそめた。モルガンの銀行は恐慌を生き延びたが、信託会社は大きなダメージを受けた。このため、この恐慌は信託会社の信頼を失墜させ銀行が利益を得るために企てられたものだと考える研究者もいた。モルガンは危機を利用してUSスチールにTC&Iを獲得させた、と信じるものもいた。モルガン自身、恐慌で2100万ドルを失いながらも危機の拡大に歯止めをかけた。モルガンの果たした役割の重要性については誰もが認めるところであったが、厳しい調査と非難の対象ともなった。 下院通貨銀行委員会の委員長アルセーヌ・プジョー下院議員(ルイジアナ州選出 - 民主党)は、「マネー・トラスト」、つまりモルガンとその仲間たちによる金融界の企業連合(トラスト)を調査するための公聴会を招集した。このプジョー公聴会(Pujo Committee)の報告書によれば、JPモルガン商会(英語版)の幹部は112の企業で取締役に就いており、それら企業の資本金総額は225億ドルであった(当時ニューヨーク証券取引所上場企業の資本金総額は265億ドルである)。 1912年12月、プジョー公聴会で証言したモルガンは、首席捜査官サミュエル・アンタマイヤー(en)と激しいやり取りを交わした。アンタマイヤーとモルガンの有名なやりとりは、銀行業の基本的・心理的本質、つまり経済活動は信用の上に成り立つという本質に触れたもので、ビジネス誌などにたびたび引用されることがある。 アンタマイヤー: 信用取引とは、主としてお金や財産によって決まるのではないですか?モルガン: いいえ、違います。まず最初に重要なことは人柄です。アンタマイヤー: お金や財産よりも?モルガン: お金よりも何よりも。お金で人柄を買うことはできませんから。(中略) 私の信用を得ていない人間は、キリスト教世界に存在するいかなる債券をもってしても、私から金を引き出すことはできないのです。 証言を終えた後、モルガンはエジプト旅行中の1913年2月に体調を崩し、同年3月31日に死去した。「マネー・トラスト」が連邦準備制度として発足する9ヶ月前のことだった。
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