ブルースとゴスペル
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「アメリカ合衆国の音楽」の記事における「ブルースとゴスペル」の解説
"Maple Leaf Rag" スコット・ジョプリン作曲のラグタイム この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 詳細は「ブルース」および「ゴスペル (音楽)」を参照 ブルースは、現代アメリカにおけるほとんどのポピュラー音楽の基礎となったアフリカ系の民俗音楽である。カントリー、ジャズ、ラグタイム、ゴスペルなどの一連の音楽スタイルに大きな影響を与えた。これらのジャンルはそれぞれ別個の形式を発展させているが、以下のような共通の起源をもっている。19世紀終わりから20世紀初めにかけて、ミシシッピ・デルタの周辺で初期のブルースが発展した。ブルースに類する音楽でもっとも古いものといえばまずコールアンドレスポンスが挙げられるが、コールアンドレスポンスには和音も伴奏もなければ、いかなる音楽的な形式・構造もなかった。ブルースは、奴隷やその子孫がフィールドハラーやシャウトを情熱をこめた独唱歌へと変化させて作り出したものである。さらに黒人教会や伝道集会で、キリスト教の霊歌との交流が生まれると、ブルースはゴスペルの基礎になった。近代のゴスペルは1920年代の黒人教会において、即興の、しばしば音楽性をもった信仰告白という形式で始まったものである。トマス・A・ドーシー(en:Thomas A. Dorsey)などの作曲家が、伝統的な聖歌・霊歌にブルースやジャズの要素を取り入れたゴスペル作品を作った。 ラグタイムは、シンコペーションのリズムと半音階を多用する、ピアノを中心とした音楽スタイルである。元々はウォーキングベースを活かした、ソナタ形式で作曲されるダンスミュージックであった。ヨーロッパの行進曲・ポピュラーソングや、北部の町で19世紀終わりごろに黒人の大バンドが演奏していたジグなどのダンスミュージックなどの様々な要素を、黒人のケークウォークダンスに盛り込んで再構成・発展させたスタイルである。ラグタイム奏者・作曲家としては、スコット・ジョプリンが最も有名で、メイプルリーフ・ラグなどの作品が知られている。 1920年代、ベッシー・スミスなどのクラシック女性ブルース歌手が人気を博し、ブルースはアメリカのポピュラー音楽の一部になっていった。レコード会社が、黒人の音楽愛好家に向け「レース・ミュージック(race music)」を売り出したのもこの時期である。デルタ・ブルースのロバート・ジョンソン、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ピードモント・ブルース(en:piedmont blues)のブラインド・ウィリー・マクテル(en:Blind Willie McTell)など、この時期の有名アーティストは、ブルースや派生ジャンルのポピュラー音楽としての発展を後々まで刺激することとなった。しかし1940年代終わりごろには、純粋なブルースが、リズム・アンド・ブルースや初期ロックンロールといった派生ジャンルに押され、ポピュラー音楽の中ではマイナーな部位になっていた一方、ブギウギなどの、電子音楽やピアノ弾き語りのスタイルは多くの観客を維持していた。 1950年代には、マヘリア・ジャクソンが牽引役となったブルース・スタイルのゴスペルも人気を獲得した。またセンセーショナル・ナイチンゲールズやスワン・シルバートーンズ、ソウル・スターラーズらのゴスペル・カルテットも活躍した。しかし、1950年代のマディ・ウォーターズ、リトル・ウォルターといったシカゴ・ブルースのアーティストによってブルースは大きなリバイバルを果たした。またブリティッシュ・インヴェイジョンやフォーク・リバイバルの渦中にあった1960年代は、ミシシッピ・ジョン・ハートやレヴァランド・ゲイリー・デイヴィス(en:Reverend Gary Davis)などのカントリー・ブルース奏者が再発見されることとなった。1950年代のチャック・ベリーなどのロックミュージシャンや、1960・70年代のブリティッシュ・ブルース(en:British blues)やブルースロックなどの音楽シーンは、1950年代のブルース奏者から大きな影響を受けている。この影響は、イギリスのエリック・クラプトンやテキサス州のジョニー・ウィンターにまで及んだ。
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