ブルースへの回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 21:18 UTC 版)
「ゲイリー・ムーア」の記事における「ブルースへの回帰」の解説
1990年3月、ブルース・アルバム『スティル・ゴット・ザ・ブルーズ』をリリース。親交のあったジョージ・ハリスンの他、アメリカのブルース・ギターの名手アルバート・キング、アルバート・コリンズらがゲスト参加している。アルバムはムーアにとって唯一の全米トップ100入りを果たし、1995年には同国でゴールドを記録(全世界で300万枚)、以後ムーアは自らの音楽の軸をブルースへと回帰させた。またジョージ・ハリスンの誘いでトラヴェリング・ウィルベリーズの『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3』にも参加している。4月からミッドナイト・ブルース・バンドを編成して英国、ヨーロッパでコンサート、5月のハマースミス・オデオンでのドキュメントは『スティル・ゴット・ザ・ブルース・ライヴ』というタイトルで映像化されている。基本メンバーはアンデイ・パイル (Andy Pyle) (ベース)、グラハム・ウォーカー (Graham Walker)(ドラムス)、キーボードにはドン・エイリーやトミー・エアー、そしてホーン・セクションに女性コーラスが参加している。 1992年、多額の制作費を注ぎ込んだアルバム『アフター・アワーズ』リリース。アルバート・コリンズ、B.B.キングがゲスト参加。同年4月、ジョージ・ハリスンのロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール公演のサポートを担当。ジョー・ウォルシュとともにハリスンのステージにも参加。ムーアは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギター・ソロを弾いている。ミッドナイト・ブルース・バンドはアメリカ、EUなどでプロモーション・ツアー。同年6月28日にはハマースミス・オデオンでミック・ジャガーと共演し、この時ライブ録音された「Everybody Knows About My Good Thing」はジャガーのソロ・シングル「Don't Tear Me Up」に収録された。 1993年6月、ワールド・ツアーを記録したライブ・アルバム『ブルース・アライヴ』、映像作品の『ライヴ・ブルース』を発表した。 同年、ジャック・ブルースとの共演後、11月にはドイツのケルンで行われたジャック・ブルースのバースデイ・コンサートに参加。元クリームのメンバーであるブルース、ジンジャー・ベイカーとの共演をきっかけに、1994年、ベイカー、ブルース、ムーアの3人でBBMを結成(バンド名はメンバーの頭文字から取られた)。アルバム『アラウンド・ザ・ネクスト・ドリーム〜白昼夢』をリリース。ライブを数回行った後、ベイカーがグループを離れたため、ゲイリー・ハズバンドがトリオに加わった。同年、そのトリオで録音した新曲「ワン・デイ - One Day」を含む初のコンピレーション・アルバム『ベスト・オブ・ゲイリー・ムーア〜バラッズ・アンド・ブルーズ〜』がリリースされた。 1995年、ピーター・グリーンに捧げたアルバム『ブルーズ・フォー・グリーニー』をリリース。グリーンの活動再開のきっかけともなるアルバム・リリース記念ライブをロンドンにて行う(この様子は、映像作品『Blues for Greeny Live』としてリリースされている)。この年、ミッドナイト・ブルース・バンドを解散する。
※この「ブルースへの回帰」の解説は、「ゲイリー・ムーア」の解説の一部です。
「ブルースへの回帰」を含む「ゲイリー・ムーア」の記事については、「ゲイリー・ムーア」の概要を参照ください。
- ブルースへの回帰のページへのリンク