ブランカッチ礼拝堂フレスコ画
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「マサッチオ」の記事における「ブランカッチ礼拝堂フレスコ画」の解説
「貢の銭」も参照 「腕のいい高名な二人組 (duo preciso e noto)」といわれていたマサッチオとマソリーノは、1424年に富裕な権力者フェリーチェ・ブランカッチから、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂のブランカッチ礼拝堂内部に一連のフレスコ装飾画を描く依頼を受けた。特に礼拝堂左右壁面それぞれに上下二段に配置された『聖ペテロ伝』四面の構成は、見かけの素朴さを裏切って巧妙な方法で統合されており、このフレスコ画がマソリーノをはじめとする複数の制作者による作品であることを完全に忘れさせる。 礼拝堂の絵画制作は1425年ごろから始められたが、絵画完成前に二人ともこの仕事を放棄してしまっている。二人が放棄した理由は伝わっておらず、最終的にこれらのフレスコ画は1480年代になってからフィリピーノ・リッピが完成させた。これらのフレスコ画に描かれているモチーフはあまり一般的な題材ではない。フレスコ画の大部分には聖ペトロの生涯が2場面に渡って描かれており、入口の両側には誘惑され、楽園から追放されるアダムとイヴが描かれている。一連のフレスコ画は人間の罪業と、初代ローマ教皇ペトロによる救済を意味している。 マサッチオの画面構成にはジョットの影響が見られる。人物は大きく重量感を持って力強く描かれ、内なる感情はその表情やしぐさで表現されており、非常に自然な印象を与える絵画に仕上がっている。しかしながらジョットとの相違点として、マサッチオは一点透視図法、空気遠近法、一定方向から射す光源、キアロスクーロなどの技法を導入しており、明確な輪郭線を描くことなく光や色合いで対象の姿形を表現することに成功している。それまでの芸術家たちの絵画よりも一層説得力があり、真に迫った作品を描きだしたのである。 『楽園追放』は天使に追い立てられて嘆き悲しみながらエデンの園から追放されるアダムとイヴを描いた作品である。禁断の果実を食べて恥という概念を認識したアダムが両手で顔を覆い、イヴが自身の身体を隠しているこのフレスコ画は、後年のミケランジェロにも多大な影響を及ぼしている。ブランカッチ礼拝堂にあるもう一つの著名なフレスコ画『貢の銭』には新古典様式の典型とも言える表現でイエスと使徒が描かれている。美術史家たちが何度も指摘してきたように『貢の銭』は実際のブランカッチ礼拝堂の窓からの外光を計算に入れて描かれており、あたかも礼拝堂の窓から射し込む光を光源としているかのようにして人物の影が表現されている。このことは作品により一層の真実味を与えるだけでなく、マサッチオの革新的な才能を証拠立てるものとなっている。 1425年9月にマソリーノはブランカッチ礼拝堂のフレスコ画制作を中止してハンガリーへと渡った。依頼主のフェリーチェ・ブランカッチとの金銭的不和によるもの、あるいはマサッチオとの芸術的見解の相違によるものなどという推測もあるが、定説はない。他にもマソリーノの礼拝堂フレスコ画の制作放棄は開始当初から考えていたもので、一人でも依頼されたフレスコ画を仕上げられるまでに腕を上げたマサッチオとの共同制作に終止符を打つつもりだったという説もある。しかし1426年になって、マサッチオも別の依頼に応えて、ブランカッチ礼拝堂フレスコ画制作を放棄してしまった。このときマサッチオにもたらされた依頼は、マソリーノに絵画制作を依頼したのと同じパトロンからのものだったと考えられている。このころにはブランカッチ礼拝堂フレスコ画のパトロンだったフェリーチェの財政状態が悪化し賃金の支払にも事欠くようになっていたために、二人は別の仕事を探したとのではないかという推測もある。 1427年にマサッチオはブランカッチ礼拝堂のフレスコ画制作に戻り、『テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ』に着手したが、またしてもマサッチオはこの絵画の制作を途中で放棄している。未完のままになっていた『テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ』には依頼主であるブランカッチ一族の肖像画が描かれていたため、後にブランカッチ家と敵対していたメディチ家によって多大な損壊を受けることになった。そして、さらに50年以上が経ってから、フィリッポ・リッピが『テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ』を修復、完成させている。マサッチオとマソリーノが描き上げたフレスコ画のなかには、1771年の火事で焼失してしまったものもあり、それら失われたフレスコ画の記録はヴァザーリの著作に記されているのみである。焼失を免れた作品も煤煙で大部分が黒ずんでしまったが、近年になってそれら損壊した絵画を覆っていた大理石の板が除去され、フレスコ画もオリジナルの状態に近く修復されている。
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