ブランカッチ礼拝堂フレスコ画とは? わかりやすく解説

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ブランカッチ礼拝堂フレスコ画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 00:36 UTC 版)

マサッチオ」の記事における「ブランカッチ礼拝堂フレスコ画」の解説

貢の銭」も参照 「腕のいい高名な二人組 (duo preciso e noto)」といわれていたマサッチオマソリーノは、1424年富裕な権力者フェリーチェ・ブランカッチから、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂内部一連のフレスコ装飾画を描く依頼受けた。特に礼拝堂左右壁面それぞれに上下二段配置された『聖ペテロ伝』四面構成は、見かけの素さを裏切って巧妙な方法統合されており、このフレスコ画マソリーノはじめとする複数制作者による作品であることを完全に忘れさせる礼拝堂絵画制作1425年ごろから始められたが、絵画完成前に二人ともこの仕事放棄してしまっている。二人放棄した理由伝わっておらず、最終的にこれらのフレスコ画1480年代になってからフィリピーノ・リッピ完成させた。これらのフレスコ画描かれているモチーフはあまり一般的な題材ではない。フレスコ画大部分には聖ペトロ生涯が2場面渡って描かれており、入口両側には誘惑され楽園から追放されるアダムとイヴ描かれている。一連のフレスコ画人間罪業と、初代ローマ教皇ペトロによる救済意味している。 マサッチオ画面構成にはジョット影響見られる人物大きく重量感持って力強く描かれ、内なる感情はその表情やしぐさで表現されており、非常に自然な印象与え絵画仕上がっている。しかしながらジョットとの相違点として、マサッチオ一点透視図法空気遠近法一定方向から射す光源キアロスクーロなどの技法導入しており、明確な輪郭線を描くことなく光や色合い対象姿形表現することに成功している。それまで芸術家たちの絵画よりも一層説得力があり、真に迫った作品描きだしたのである。 『楽園追放』は天使追い立てられ嘆き悲しみながらエデンの園から追放されるアダムとイヴ描いた作品である。禁断の果実食べて恥という概念認識したアダム両手で顔を覆いイヴ自身身体隠しているこのフレスコ画は、後年ミケランジェロにも多大な影響及ぼしている。ブランカッチ礼拝堂にあるもう一つ著名なフレスコ画貢の銭』には新古典様式典型とも言える表現イエス使徒描かれている。美術史家たちが何度も指摘してたように貢の銭』は実際ブランカッチ礼拝堂の窓からの外光計算入れて描かれており、あたかも礼拝堂の窓から射し込む光を光源としているかのようにして人物の影が表現されている。このことは作品より一層真実味与えるだけでなく、マサッチオ革新的な才能証拠立てるものとなっている。 1425年9月マソリーノブランカッチ礼拝堂フレスコ画制作中止してハンガリーへと渡った依頼主のフェリーチェ・ブランカッチとの金銭的不和よるもの、あるいはマサッチオとの芸術的見解の相違よるものなどという推測もあるが、定説はない。他にもマソリーノ礼拝堂フレスコ画制作放棄開始当初から考えていたもので、一人でも依頼されフレスコ画仕上げられるまでに腕を上げたマサッチオとの共同制作終止符を打つつもりだったという説もある。しかし1426年になってマサッチオ別の依頼応えて、ブランカッチ礼拝堂フレスコ画制作放棄してしまった。このときマサッチオもたらされ依頼は、マソリーノ絵画制作依頼したのと同じパトロンからのものだった考えられている。このころにはブランカッチ礼拝堂フレスコ画のパトロンだったフェリーチェ財政状態悪化し賃金支払にも事欠くようになっていたために、二人別の仕事探したとのではないかという推測もある。 1427年マサッチオブランカッチ礼拝堂フレスコ画制作戻り、『テオフィルス息子蘇生と教座のペテロ』に着手したが、またしてもマサッチオはこの絵画の制作途中で放棄している。未完のままになっていた『テオフィルス息子蘇生と教座のペテロ』には依頼主であるブランカッチ一族肖像画描かれていたため、後にブランカッチ家と敵対していたメディチ家によって多大な損壊を受けることになった。そして、さらに50年以上が経ってから、フィリッポ・リッピが『テオフィルス息子蘇生と教座のペテロ』を修復完成させている。マサッチオマソリーノ描き上げたフレスコ画なかには1771年火事焼失してしまったものもあり、それら失われたフレスコ画記録ヴァザーリ著作記されているのみである。焼失免れた作品煤煙大部分黒ずんでしまったが、近年になってそれら損壊した絵画覆っていた大理石の板が除去されフレスコ画オリジナルの状態に近く修復されている。

※この「ブランカッチ礼拝堂フレスコ画」の解説は、「マサッチオ」の解説の一部です。
「ブランカッチ礼拝堂フレスコ画」を含む「マサッチオ」の記事については、「マサッチオ」の概要を参照ください。

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