フランス映画祭 (日本)
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フランス映画祭(フランスえいがさい、Festival du film français au Japon)は、日本で毎年行われているユニフランス主催の映画祭。日本初公開となるフランス映画の新作を中心に上映される。
- 1 フランス映画祭 (日本)とは
- 2 フランス映画祭 (日本)の概要
フランス映画祭 (横浜)
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フランス映画祭(フランスえいがさい、French Film Festival)は、日本で毎年行われているユニフランス主催の映画祭。日本初公開となるフランス映画の新作を中心に上映される。
- ^ 『スタア』1954年1月号。
- ^ 『キネマ旬報』1959年7月夏の特別号。
- ^ 『映画評論』1959年7月号。
- ^ 『映画評論』1963年5月号。
- ^ 『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社。
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- ^ 『映画情報』1966年11月号、国際情報社、「フランス映画の粋を集めて 第4回フランス映画祭の参加作品」。
- ^ 『映画情報』1966年12月号、国際情報社、「フランス映画祭華やかに開幕」。
- ^ 『映画評論』1966年12月号、81-94頁、「フランス映画は衰退したか」。
- ^ “第8回フランス映画祭横浜2000 映画祭概要”. 2022年6月1日閲覧。
- ^ 第4回フランス映画祭横浜の開催 - 横浜市 今までのニュース(市長定例記者会見)1996年4月15日
- ^ 横浜市長のフランス芸術文化勲章受章について - 横浜市 今までのニュース(市長定例記者会見)1996年12月9日
- ^ 市民が選ぶ 2002年市内10大ニュース - 横浜市(2002年12月19日)
- ^ MovieWalker レポート 【秘祭!奇祭!映画祭!!全国映画祭めぐりツアーズvol.4 フランス映画祭横浜】 (4)強い作家性と、キャリアを積んで輝く俳優たちフランス文化の奥深さを垣間見た映画祭最終日(2004年7月16日)
- ^ a b 映像で結ばれるフランスとヨコハマ 「フランス映画祭横浜2005」の全貌 - ヨコハマ経済新聞(2005年6月22日)
- ^ 横浜市 市長定例記者会見(2005年5月24日)
- ^ 初夏のヨコハマはトリコロールに染まる 「横浜フランス月間・2005」の全貌 - ヨコハマ経済新聞(2005年6月6日)
- ^ 横浜市 市長定例記者会見(2005年12月28日)
- ^ 横浜市 市長定例記者会見(2006年6月1日)
- ^ a b フランス映画祭2006開幕 - cinemacafe.net (2006年3月19日)
- ^ “フランス映画祭 2012 イベント情報”. 九州日仏学館 (2012年4月24日). 2012年5月30日閲覧。
- ^ “Jean-Paul Salomé、UniFrance Filmsの代表に就任”. uniFrance Films (2013年1月31日). 2013年6月25日閲覧。
- 1 フランス映画祭 (横浜)とは
- 2 フランス映画祭 (横浜)の概要
- 3 概要
- 4 オフィシャル・カー
フランス映画祭横浜(1993年〜2005年)
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「フランス映画祭 (横浜)」の記事における「フランス映画祭横浜(1993年〜2005年)」の解説
映画プロデューサーでユニフランス会長(当時)のダニエル・トスカン・デュ・プランティエ(フランス語版)が、日本での映画祭を企画。横浜市が地域興しのためにその招致に名乗りを上げ、横浜市での開催が決まる。1993年6月に第1回フランス映画祭横浜'93が開催される。会場はパシフィコ横浜会議センター棟1階メインホール(1002席)で、期間は4日間(木曜日から日曜日)。 1995年6月にフランスのシラク大統領が核実験の再開を発表し、ムルロア環礁で核実験を行った。このため日本でもフランス製品の不買運動が起きた。翌年6月の第4回フランス映画祭横浜'96では、横浜市からの補助金が3割近く縮小され、横浜市民との交流を深めるため、市民招待特別鑑賞会などが行われた。 1996年に、高秀秀信・横浜市長(当時)に、フランス映画祭横浜の開催への功績などによりフランス芸術文化勲章が贈られた。 2001年6月の第9回フランス映画祭横浜2001からは水曜日からの5日間開催となった。 2002年の横浜市長選挙にて市長を12年間務めた高秀秀信が敗れ、4月から中田宏が横浜市長に就いた。この6月の第10回フランス映画祭横浜2002では、ユニフランス会長(当時)のダニエル・トスカン・デュ・プランティエに横浜文化賞が贈られ、高秀秀信・前市長(当時)にレジオン・ドヌール勲章が贈られた。また、フランス映画トロフィー(後述)が発足し、これらの授賞式が行われたセレモニーには高円宮同妃が出席した。なお、高秀秀信・前市長(当時)はこの年8月に亡くなった。 2003年2月ユニフランス会長(当時)のダニエル・トスカン・デュ・プランティエが急逝(61歳)。新しいユニフランス会長に映画プロデューサーのマルガレート・メネゴーズが就いた。 2004年6月の第12回フランス映画祭横浜2004では、それまでの今泉幸子に代わって佐藤久理子が作品選定アドバイザーに就いた。フランス映画祭横浜で初めて長編アニメーションが上映され、また観客賞が初めて設けられた。 2005年6月の第13回フランス映画祭横浜2005では、観客の増加を受けて、メイン会場のパシフィコ横浜の他にワーナー・マイカル・シネマズみなとみらいと109シネマズMM横浜がサブ会場となり、すべての長編作品がサブ会場でも上映された。 中田市長になりフランス映画祭横浜の規模縮小や開催中止があやぶまれたが、2005年6月に横浜シネマテークが発足し、また2005年から毎年6月は「横浜フランス月間」が行われるようになった。しかし、横浜フランス月間の中心となるはずのフランス映画祭は2006年から3月開催となってしまった。
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