フランスに接近、離反へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 03:32 UTC 版)
「フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)」の記事における「フランスに接近、離反へ」の解説
だが、善良公はフランス戦線に無関心で、北のネーデルラント獲得を目指していたが、そのネーデルラントを巡り紛争が起こった。ベッドフォード公の弟のグロスター公ハンフリーが1422年に善良公の従妹に当たるエノー・ホラント・ゼーラント女伯ジャクリーヌ・ド・エノーと結婚したことを根拠に1424年にネーデルラントへ出兵したため、憤慨した善良公は迎撃に向かい、イングランドとブルゴーニュの同盟にヒビが入った。事態を危ぶんだベッドフォード公が仲介したが紛争は収まらず、翌1425年1月にジャクリーヌと善良公の叔父でジャクリーヌと対立していたバイエルン公ヨハン3世が善良公を相続人に指名して亡くなると、それを口実に善良公はエノーに駐屯していたグロスター公の手勢を打ち破りジャクリーヌを捕らえてネーデルラントで優位に立った。 1428年にグロスター公が介入を諦め、ジャクリーヌが善良公に3伯領の支配を委ねることで事態は解決したが、善良公はイングランドに不信を抱くようになった。この後、1432年にジャクリーヌが善良公へ反逆を企て、それが失敗に終わると3伯領を全て明け渡し引退、1430年に従弟のブラバント公兼サン=ポル伯フィリップ(ジャン4世の弟)が急死したことも相まって、ネーデルラントの大部分を手に入れた善良公の所領は大幅に拡大した。 一方、王太子の姑ヨランド・ダラゴンが善良公に接触すると徐々にフランスへ歩み寄るようになり、1424年9月に王太子と善良公は休戦協定を結び、善良公は王太子をフランス王と認め両者の和睦に一歩近付いた。リッシュモンが王太子の側近になり父の暗殺犯などアルマニャック派の強硬派を処罰したため進展したと思われたが、王太子の寵臣ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユと対立して1428年に宮廷から追い出され、ブルゴーニュとフランスの交渉も中断された。このような状況を見て取ったベッドフォード公は同年10月からオルレアン包囲戦を敢行、ブルゴーニュを戦争に引きずり込もうとした。 しかし、1429年5月にジャンヌ・ダルクがオルレアンでイングランド軍の包囲網を破り、6月にパテーの戦いでオルレアン周辺のイングランド軍が掃討され、7月にランスで王太子が戴冠式を行ってフランス王シャルル7世を称する頃になると形勢は逆転し始めた。善良公はシャルル7世が派遣した使節と交渉して8月に再び休戦を誓い、将来の和睦に向けた予備交渉まで定め、フランスと争うつもりがないことを表明した。冬から1430年まで善良公は3度目の結婚準備に追われ、シャルル7世が北フランスで紛争を煽り善良公を牽制するなどしていたため、出兵する余裕は無かった。シャルル7世と休戦協定の期限は1430年3月までだったが、水面下で両者は互いに相手の出方を窺いつつ警戒していた。 一向に協力しない善良公に苛立ったベッドフォード公は1430年5月にコンピエーニュ包囲戦を実行、善良公はフランスとの休戦が切れたこともありイングランドの顔を立てるため参戦したが、戦いは敗北に終わり、善良公の配下のリニー伯ジャン2世はジャンヌを捕らえてイングランド軍に引き渡したが、翌1431年12月13日にはフランスと改めて休戦する一方、16日にベッドフォード公がパリで挙行したヘンリー6世のフランス王戴冠式には欠席して一層イングランド離れを進めていった。1430年1月に善良公がベッドフォード公の従妹に当たるイザベル・ド・ポルテュガルと3度目の結婚をしても両者の溝は埋まらず、1432年にアンヌが亡くなり翌1433年にベッドフォード公がジャケット・ド・リュクサンブールと再婚したことで疎遠になっていった。他方、ロレーヌ公国に介入しロレーヌ公ルネ・ダンジュー(ヨランドの次男)と争うヴォーデモン伯アントワーヌに味方し、1431年にルネを捕らえてディジョンへ幽閉したが短期間で開放している。 1432年にリッシュモンがフランス宮廷に復帰、1433年にリッシュモンと対立したラ・トレモイユが追放されるとフランスはブルゴーニュとの和睦に傾き、善良公もこれに応じ1434年12月から1435年2月にかけてヌヴェールで交渉して1429年の予備交渉で決めた和睦条件を調整、7月からイングランドも加えてアラスで行われた講和会議でイングランドが離脱すると、フランス・ブルゴーニュ間で交渉が纏まり、9月21日にアラスの和約でフランス王家と講和した。これにより、百年戦争はフランスの勝利へと向かうことになる。なお、ベッドフォード公は和約の1週間前の9月14日に死去している。
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