フランスによる略奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 16:39 UTC 版)
「フランス領アルジェリア」の記事における「フランスによる略奪」の解説
フランスが1872年にアルジェリア人の三分の一が加わったと言われているモクラニー蜂起(英語版)を鎮圧すると、フランスはアルジェリアを完全征服し本来の趣旨である経済的征服を行った。先ずフランスは次々とアルジェリアの土地を奪い、フサイン・イブン・パシャ(英語版)が降伏するとモスクのワクフを奪った。ワクフとは寄進財産の事であり、信者による基金によって集められた。モスクはこの基金を使って貧民を救済したり、教育活動をしたり、道路を補修したりしてきたので、この財産を奪われた打撃はアルジェリアにとって大きなものであった。フランスはまた部族の共有財産であるアルクも奪った。アルクは農耕や牧畜には使えたが土地を売買する事は出来なかった。そう言った先祖代々守り続けた共有財産さえもフランスは奪ったのである。フランスは肥沃な土地を持っていた、何もしていない農民にもフランスに抵抗したと言い掛かりを付けて彼らの土地を頻繁に奪った。暫くすると、アルジェリアにはコロン(colon(s))と呼ばれるフランス人やイタリア人、スペイン人等の移民がアルジェリアにやってきた。彼ら、コロンはアルジェリア人を劣等で怠惰な人種であると一方的に決め付け、彼らを"鼠"と罵った。 コロンたちはブドウ、スモモ等を輸出し利益を上げていた。長年アルジェリアでは父が子に織物や陶器、皮革、金属加工等の手工業の技術を教え、その様にしてアルジェリアの伝統的工芸の技術を保存させていったが、フランスから加工品が輸入されるとフランスは本国の工業発展の為に原料の生産だけをアルジェリアに許し、アルジェリアの技術力の高い織物工場はフランスのそれらのライバルであると見做されると直ぐに工場を閉鎖させ悉く倒産させられた。フランスはアルジェリア人を安い賃金で働かせ、資源を搾取し、挙げ句の果てにアルジェリアの伝統工芸・文化さえも破壊した。
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