フランスによる侵略と植民地支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 03:50 UTC 版)
「マダガスカルの歴史」の記事における「フランスによる侵略と植民地支配」の解説
このようにメリナ王国が衰退を続けると、イギリスは王国の衰退を察して植民地化の野心を向け始めた。これを察したフランスはそれに先んじて侵略戦争を開始、1883年に、タマタブを占領した。 1883年に、ラナヴァルナ2世が没すると、その従妹がラナヴァルナ3世として即位した。1890年に、メリナ王国の保護権をフランスに認める。一方で、イギリスに接近して軍隊の再整備を進めた。しかし1894年にフランスは最後通牒を突きつけて、1895年メリナの王宮の置かれていたアンタナナリヴを占領する。1897年ラナヴァルナ3世をレユニオン島に流し、メリナ王国を滅亡させた。 1896年8月6日、フランス政府は正式にマダガスカルを植民地としたことを宣言した。 植民地支配開始初期には、メリナ族などの反乱があったが、フランスによってマダガスカル独立の機運は徐々に奪われかけたが、マダガスカル人達は決して諦めなかった。貿易量も増えて経済発展も進んだが、その一方で、マダガスカル人の知識層の数も増え、彼らは反植民地運動の先駆けともなっていく。
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