フランスによる一大測地測量事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/21 23:17 UTC 版)
「トルネ谷」の記事における「フランスによる一大測地測量事業」の解説
1736年から1737年にかけて、フランス科学アカデミーが地球の形状を測定するための測量事業を挙行した。測量遠征隊のうち一隊は赤道付近の測量を行うためペルー(現在のエクアドル)へ、もう一隊は北極圏付近の測量を行うためトルネ谷へ派遣された。 トルネ谷測量隊はピエール・ルイ・モーペルテュイが率いることとなり、スウェーデンの代表として、アンデルス・セルシウスが一隊に加わった。一隊は1736年6月19日にトルニオ入りし、翌年の6月10日にフランスへの帰路に発った。彼らは緯度1度に相当する子午線弧長をおおよそ111kmと求めた。測量した子午線弧の南端はトルニオ教会の教会塔、北端はキッティスヴァーラの丘であった。子午線弧長の測定の結果、モーペルテュイ一行は地球形状について、アイザック・ニュートンが予想したとおり、極方向に扁平した扁球であることを証明することができた。 このときの旅程の様子を記したモーペルテュイと測量隊の一員であったレジノー・ウーティエの書物には、18世紀当時のラップランドにおける自然・文化についての多くの記述があり、多くの旅行者をトルネ谷へといざなうものとなっている。
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