フランスにおける試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:27 UTC 版)
1912年にフランスでロベール・プジョー(Robert Peugeot)によりプジョー賞という人力飛行の懸賞が始められた。これは距離10m以上飛行と1m以上の高度に達する人力のみによる飛行に10000フランの賞金が贈られるものだった。この懸賞への挑戦に用いられた装置はアビエット(Aviette フランス語で小さな飛行機の意味。後に人力飛行機も意味するようになる。)と呼ばれた。開始から9年後の1921年7月9日に自転車競技のチャンピオンだったガブリエル・プーラン(Gabriel Poulain(英語版))がフランスのニューポール社で開発されたアビエットで挑戦した。4回の試行で最大飛距離12.22m、最大高度約2.4mの跳躍に成功しプジョー賞を獲得した。ガブリエルはそれまでにもプジョー賞に挑戦していたが10mには届かず、この日は6°の迎角をつけたことで成功を収めた。プジョー賞を獲得した際のアビエットは上下及び前後にずらした二枚の翼を取り付けた自転車であり、プロペラの付いた飛行機ではなかったが、人力のみによって翼を用いた離陸にした例である。その後、新たなプジョー賞としてプロペラ付き人力飛行機による50mの飛行に20000フランの賞金が懸けられた。ガブリエルは再びニューポール社で新しいプジョー賞に向けた機体製作を宣言したが、この機体は製作されることなく、また他の挑戦者も新しいプジョー賞を達成することはなかった。
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