フェアチャイルドセミコンダクターでのシリコンゲート技術の発展
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「自己整合ゲート」の記事における「フェアチャイルドセミコンダクターでのシリコンゲート技術の発展」の解説
シリコンゲート技術は商業用MOS集積回路の製造で用いられた最初のプロセス技術で、その後の1960年代には産業全体で広く採用された。1967年後半、フェアチャイルドセミコンダクター研究所でLes Vadaszの部下であったTom Kleinは、高濃度にP型ドープしたシリコンとN型シリコンとの仕事関数の差は、アルミニウムとN型シリコンとの仕事関数の差よりも1.1ボルト小さいことを示した。このことは、シリコンゲートを持つMOSトランジスタの閾値電圧は、アルミニウムゲートをもつMOSトランジスタの閾値電圧より1.1ボルト低いことを意味した。よって[111]シリコン方位を用いて、チャネルストッパーマスクや酸化膜下へのイオン注入を使うこと無く、適切な寄生閾値電圧と閾値電圧が低いトランジスタの両方を達成できる。よってP型ドープシリコンゲートで自己整合ゲートトランジスタを作るだけで無く、低い閾値電圧プロセスを作ることも高閾値電圧プロセスと同じシリコン方位を使ってできる。 1968年2月にフェデリコ・ファジンはLes Vadaszのグループに加わり、低閾値電圧の自己整合ゲートMOSプロセス技術の開発を任された。ファジンの最初の仕事はアモルファスシリコンゲートのための精度の高いエッチング液の開発で、プロセスの基本設計とシリコンゲートでMOS ICを製造する詳細なプロセスを作った。彼は金属を使わずにアモルファスシリコンとシリコン接合との間の直接接触を作る手法で、特にランダム論理回路での遥かに高い回路密度を可能にする技術である「埋め込み接触」も開発した。 彼がデザインしたテストパターンで有用性の確認と特性評価をした後、ファジンは最初のMOSシリコンゲートトランジスタを作り、1968年4月に構造をテストした。彼はこの時シリコンゲートを用いた最初の集積回路であり復号論理をもつ8ビットアナログマルチプレクサ Fairchild 3708をデザインした。これはフェアチャイルドセミコンダクターが厳しい仕様のため作るのが難しかったメタルゲート生産ICであるFairchild 3705のいくつかの機能性をもつ。 1968年7月には3708の供給力は数ヶ月の間プロセスをさらに改善するためのプラットフォームを与え、1968年10月に顧客へ最初の3708サンプルを出荷し、1968年終わりまで一般市場が商業的に利用できるようになった。その間、1968年7月から10月までファジンは2つの重要なステップをプロセスに加えた。 真空蒸着したアモルファスシリコンから気相堆積した多結晶シリコンに置き換えた。酸化物表面での段差で蒸着したアモルファスシリコンが壊れるため、このステップが必要となる。 トランジスタの信頼性の問題を引き起こす不純物を吸い上げるため、リンによるゲッタリングを使う。リンゲッタリングによってリーク電流が大幅に減少し、アルミニウムゲートのMOS技術を悩ませる閾値電圧のドリフトを避ける(アルミニウムゲートのMOSトランジスタは、高温を必要とするリンゲッタリングには適さない)。 シリコンゲートを使うとMOSトランジスタの長期信頼性はすぐにバイポーラICのレベルに達し、MOS技術を広く適用するのための大きな障害の1つを取り除いた。 1968年の終わりには、シリコンゲート技術は素晴らしい結果を残した。3705と同じ生産設備の使用を促進するため、3708は3705とほぼ同じ面積に設計されていたが、かなり小さく作られた。にもかかわらず、3705よりも優れた性能を示した。5倍速く、リーク電流が約100倍少なく、アナログスイッチを作る大きなトランジスタのオン抵抗が3倍小さい[要出典] 。シリコンゲート技術(SGT)はインテル設立時(1968年7月)にも採用され、数年で世界中のMOS集積回路製造のコア技術になり、今日まで続いている。インテルは浮遊シリコンゲートトランジスタを用いた不揮発性メモリを開発した最初の企業でもある。
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