フェアチャイルドセミコンダクターとインテルの設立
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「ロバート・ノイス」の記事における「フェアチャイルドセミコンダクターとインテルの設立」の解説
1953年にマサチューセッツ工科大学を卒業すると、フィラデルフィアの Philco Corporation の研究開発部門に技術者として就職した。その後、ウイリアム・ショックレーにスカウトされ、1956年にマウンテンビューのショックレー半導体研究所に移った。しかし、まもなくショックレーと意見が合わなくなり、1957年にゴードン・ムーアら若手研究者を伴ってフェアチャイルドセミコンダクターを設立し独立。この社名は、出資企業(親会社)のフェアチャイルド・カメラ・アンド・インスツルメンツに由来する。親会社の社長だった シャーマン・フェアチャイルド によれば、ノイスの熱を帯びたプレゼンテーションが出資を決めた理由だったという。 フェアチャイルドでは半導体集積回路の研究開発と普及につとめたが、後に親会社との意見衝突や経営悪化をおこし、1968年に再びムーアとともにフェアチャイルドを飛びだし、アンドルー・グローヴと共にインテルを設立した。インテルの主要出資者で会長も務めた Arthur Rock は、インテルの成功にはノイスとムーアとグローヴの3人がこの順番で必須だったと述べている。ノイスは発想豊かな夢想家であり、ムーアは技術面の大家であり、グローヴは技術畑出身の経営科学者だったという。ノイスがインテルで培った企業文化は、フェアチャイルド時代と同じくゆったりしたものだった。従業員を家族のように遇し、チームワークを重視した。この経営スタイルはその後のシリコンバレーで成功した各企業にも受け継がれている。彼は高級な社用車や専用駐車スペースや自家用ジェット機や専用オフィスを避け、階層化されていないゆったりした職場環境を好んだ。従業員はみな事業に貢献しているという考え方から、特定の誰かに臨時収入を与えるということもなかった。このような特権を放棄した経営スタイルはインテルのその後のCEOに受け継がれている。インテルではテッド・ホフらのマイクロプロセッサの発明を監督し、それが彼の2度目の技術的革命となった。
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