パイシーズVの運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/18 00:21 UTC 版)
「パイシーズ (深海探査艇)」の記事における「パイシーズVの運用」の解説
パイシーズ Vは1973年に建造された深海有人潜水艇である。蓄電池から供給される電力を動力源とし、2,000m(6,280 ft)まで潜水可能である。本機は主としてハワイ諸島周辺の海域で使用される。またハワイ本島周辺の深海科学調査と同様、ハワイ島南東沖のロイヒ海山周辺にある熱水フィールドの調査にも使用される。通常、この潜水艇はビデオカメラや他の機材を搭載した状態に整備され、日中、母船から発進する。潜水艇には2本のアームが装備されており、研究対象をつかむ事ができる。アームには温度計が装備され、生物や地質学の資料をつかんで採取箱へ収納でき、潜水艇の機動に困難を伴う場所であっても潜航を補助する。パイシーズ Vの乗員は3名であり、通常の潜水時間は最大10時間である。しかし、緊急時には生命維持装置が140時間まで乗員の生存を維持する。 ハワイ海底研究所(英語版)(英語: Hawaiʻi Undersea Research Laboratory ,HURL)はこれらパイシーズ Vとパイシーズ IVの2機の潜水艇を所有している。 2機の保有は緊急時の対応に利点が有る。どちらか一方の潜水艇が潜水する際にはもう一方が船上で待機し、問題があった時にすぐに救助に向かう事ができる。このような非常事態には、魚網に絡まったり、海底の岩礁や廃棄物に挟まる事が含まれる。こうした事例において待機中の2機目が救助に向かう。同様に研究探査においても2機の使用は好ましいことである。 2002年8月、パイシーズ Vと姉妹船のパイシーズ IVは、真珠湾の外で沈んでいた日本の特殊潜航艇、甲標的を発見した。発見から時間を遡ること61年、第二次世界大戦において、この特殊潜航艇はアメリカ合衆国海軍所属ウィックス級駆逐艦・ワード号が行った初めての発砲により沈められた。この事件は現代では「ワード号事件」として知られている。甲標的は真珠湾攻撃の開始前に、4インチ50口径砲の弾丸と爆雷が命中して沈没した。潜水艦は真珠湾の入り口から約5マイルの水深400mで見つかった。これは"大西洋でのタイタニック号の発見に次ぐ、太平洋で最も重要な、近代的な海洋考古学の発見"と評された。2003年、パイシーズ Vは1年前に発見した真珠湾の日本の小型潜水艦を訪れた。アメリカ合衆国国務省は小型潜水艦の扱いに関し、日本側の要望を決める為に日本の外務省と連携した。 パイシーズ潜水艇はまた、HURLによって教材としても使用された。2008年、2名のTampa Bay Chapterの潜水士がHURLを訪れ、日本の潜水艦の史跡を訪ねた。一人の潜水士はパイシーズ Vに足をかけて"まるで自分がスペースシャトルの準備をするように感じた"と発言した。ハワイのヒロにあるモクパパパ調査センターには、パイシーズ Vの制御盤の模型が公開されている。 2009年3月5日、科学者達は7つの竹珊瑚を発見した。その中の6種は新種であり、さらに幅広い属を発見した可能性がある。こうした新種のサンゴは、通常の潜水では到達できない深海で生息していた。そのような深度で発見できたのは、パイシーズ Vがそこまで到達でき得たからであった。また彼らは同様に、およそ3フィートの高さと3フィートの幅を持つ大型の海綿を発見した。この海綿の科学名は"cauldron sponge"である。
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