ドラハッパー
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ドラハッパー | |
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メンバー | 西條辰彦 竹下友裕 |
結成年 | 2004年 |
解散年 | 2009年 |
事務所 | 松竹芸能東京支社 |
活動時期 | 2004年7月1日 - 2009年10月 |
出身 | NSC東京校1期(西條) |
現在の活動状況 | 解散 |
芸種 | コント |
ドラハッパーは、かつて松竹芸能東京支社で活動していたお笑いコンビ。2004年7月結成、2009年10月解散[1]。
メンバー
- ツッコミ担当。徳島県徳島市出身。東京NSC第1期生。
- ドラハッパー結成前には、高校の同期生と「IQ」というコンビで活動。
- ラグビーで国民体育大会に出場したことがある。
- 武蔵工業大学工学部経営工学科卒。
- ルネ、メカイノウエの名付け親である。
- 解散後、元『バンビーナ』(ニュースタッフエージェンシー所属、2008年6月解散)の「のぶすけ」とコンビ「アリアリ」を結成。
- ボケ担当。愛知県新城市出身。東京アナウンス学院卒業生。
- 丸坊主の頭が特徴で、コントではそれを生かして僧の役をしたことがある。
- 解散後は「竹下ともひろ」として、ピンで活動。2015年頃芸能活動休止状態している。
概要
- コントを中心としたお笑いコンビだった。過去にアミューズに所属していた。
- コンビ名の由来は藤子不二雄の漫画「ドラえもん」「忍者ハットリくん」「パーマン」から(1980年代にカルビーからその3キャラをパッケージに載せた「ドラハッパーチップス」というポテトチップスが発売されていた)。
- ダンボールを使ったコントでは、竹下扮する妖精や神様が出てくるという流れが多かった。また、暖簾などの道具を使ったコントも多かった。
出演番組
- 笑いの祭典 ゴールドステージ!! (日本テレビ) - 第1回(2008年6月26日)
- やりすぎコージー (テレビ東京)
- マジ☆ワラ (テレビ東京)
- Ya-Ya-yah (テレビ東京)
- インパクト! (フジテレビ)
- 爆笑レッドカーペット (フジテレビ) - キャッチコピーは『神出鬼没の』
- 笑っていいとも (フジテレビ 『金のたまごクラブ』コーナーに出演)
- 関根・優香の笑う夏休み2007 (テレビ朝日)
- 爆笑オンエアバトル (NHK総合) 戦績0勝3敗 最高341KB
- 新春ゴールデンピンクカーペット (フジテレビ キャッチコピーは『レッドカーペット』と同じ)
- とんねるずのみなさんのおかげでした『博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜』(竹下のみ) (フジテレビ)
- 関根・優香の笑うお正月2008 (テレビ朝日)
- ジャイケルマクソン (毎日放送)
- 真王伝説 (テレビ埼玉)
- 笑いの祭典 ゴールドステージ!!(日本テレビ)
- お笑い図鑑 ハマヌキ(tvk)
- BS爆笑最前線(NHK衛星第2テレビジョン)
- BSブランチ(BS-i)
- エンタの天使(日本テレビ) - 2009年2月4日(第8回)、キャッチコピーは「突撃!ファンタジー世界(ワールド)」
外部リンク
- ドラハッパーサイジョウ日記(ブログ編)
- 竹下のブログ
- 竹下の旧ブログ
- 貝印プレゼンツ カン違いな使い方
- 竹下ともひろ 公式プロフィール - ウェイバックマシン(2010年3月15日アーカイブ分)
ドラ・ハッ・パー
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『ドラ・ハッ・パー』とは、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ)両人の代表的作品である「ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマン」の頭文字を取り、1983年-1985年頃の間に頻繁に使われていた造語、愛称。及び特番タイトルである。この当時の藤子アニメ映画のキャッチフレーズとしても使用された。この造語は、藤子アニメ黄金期を象徴するものとしてファンに語り継がれている。なお、それまでは『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『怪物くん』がセットで扱われることが多かった。
シンエイ動画版『パーマン』が放映開始された1983年春頃、山田邦子が藤子アニメの特番の司会を務めた時、「これは略して『ドラ・ハッ・パー』ですね」という発言をしていた。この頃を境に、『ドラ・ハッ・パー』の使用が急激に増えていったと言われる。カード付きスナック・ポテトチップス「ドラハッパーチップス」なる商品もカルビーから発売されていた(1985年にはオバケのQ太郎、プロゴルファー猿も加えた5作品の「5きげんチップス」も発売されていた)。
1985年に入ると『藤子不二雄ワイド』や『オバケのQ太郎(3作目)』がスタート。藤子アニメ作品の放送が一気に増えた。また『パーマン』の本放送が終了し、リピート放送となった事も相まって、これらを全て頭文字で略すと語呂合わせが悪いためか『ドラ・ハッ・パー』は徐々に廃れていった。1986年~1987年の公開の映画では「ドラ・Q・猿」、1988年の公開の映画では「ドラ・魔美・UB」と言われている。
また、この時代の藤子アニメの特番は別作品でも同枠で放送される事が多く、ドラえもんを中心にハットリくんやパーマンのキャラクター達がミニコーナーで勢揃いし、進行役、コントなどを披露していた。こういった他のアニメのキャラクター同士のコラボレーションは、『クレヨンしんちゃん』、『あたしンち』など、現在のシンエイ動画作品においても受け継がれている。
松竹芸能に「ドラハッパー」というお笑いコンビ(現在は解散)がいるが、このコンビ名の由来もこの「ドラ・ハッ・パー」と同じである。
関連項目
固有名詞の分類
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