チェビシェフとは? わかりやすく解説

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チェビシェフ【Pafnutiy L'vovich Chebïshev】

読み方:ちぇびしぇふ

[1821〜1894]ロシア数学者解析的数論創始者一人で、確率論関数近似論などの分野業績残した。チェビシェフの多項式チェビシェフの不等式は有名。


チェビシェフ

名前 Chebychev

パフヌティ・チェビシェフ

(チェビシェフ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 14:19 UTC 版)

Pafnuty Chebyshev
Pafnuty Lvovich Chebyshev
生誕 (1821-05-16) 1821年5月16日
ロシア帝国カルーガ県ロシア語版ボロフスク
死没 1894年12月8日(1894-12-08)(73歳)
ロシア帝国ペテルブルク
国籍 ロシア帝国
研究分野 数学
研究機関 サンクトペテルブルク大学
出身校 モスクワ大学
博士課程
指導教員
ニコライ・ブラシュマン
博士課程
指導学生
ドミトリ・グレーブ
アレクサンドル・コルキン
アレクサンドル・リャプノフ
アンドレイ・マルコフ
ウラジミール・アンドレィビッチ・マルコフ
コンスタンチン・ポッセ
主な業績 力学, 解析幾何, 確率
主な受賞歴 デミドフ賞 (1849)
プロジェクト:人物伝
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パフヌーティー・リヴォーヴィッチ・チェビシェフ: Пафну́тий Льво́вич Чебышёв [pɐfˈnutʲɪj ˈlʲvovʲɪtɕ tɕɪbɨˈʂof] ( 音声ファイル)、ラテン転写: Pafnuty Lvovich Chebyshev、1821年5月16日ユリウス暦5月4日) - 1894年12月8日(ユリウス暦11月26日))は、ロシア数学者ラテン文字を用いる地域での姓の転写方法はさまざまであり、Chebychev、Chebyshov、Tchebycheff、Tschebyscheffなどがある。日本語表記もチビショフ、シェビチェフなど揺れが大きい(なおロシア語での発音はチブィショーフに近い)。

経歴

初期

チェビシェフはカルーガ州ボロフスク地区のオカトヴォという村で、9人兄弟の1人として生まれた。彼の父レフ・パーヴロヴィッチは裕福な地主であった。チェビシェフは当初、母のアグラフェーナ・イヴァーノヴナに読み書きを、いとこのアヴドーティヤ・クヴィンティリャーノヴナ・スーハレヴァにフランス語算数を習った。チェビシェフはまた、音楽の教師も彼の正確さや解析的な考え方を高めてくれた重要な存在であるということを述べている。

チェビシェフは(原因は不明だが)身体障碍を持ち、これが彼の青年期における発達に影響を与えた。幼少期から彼は足を引きずる障碍があり、歩く際にをつく必要があったため、両親は彼を(一族の伝統となっていた)軍人にしようという考えを捨てた。彼の障碍は、彼を多くの子供たちが楽しんでいた遊びから遠ざけ、代わりに機械を作るということに人生の情熱を傾けることになった。

1832年、家族は年長の息子パフヌーティーとパーヴェル(彼は法律家になった)に教育を施すため、モスクワに転居した。教育は引き続き家庭で行われ、両親は彼に評判の高い教師をあてがった。その中には、数学物理学の教師であったポゴレルスキー(小説家ツルゲーネフの家庭教師も務めた)が含まれる。

大学での研究

1837年夏、チェビシェフはモスクワ大学の入学試験に合格し、秋には同大学の第2哲学科で数学の勉強を始めた。彼が師事した教員にはブラシュマン、ツェルノフ、ペレヴォシュチノフなどが含まれるが、とりわけニコライ・ブラシュマンは彼に大きな影響を与えた。ブラシュマンは実践的な力学を教え、またおそらくフランスの技術者ジャン=ヴィクトル・ポンスレの業績をチェビシェフに示したと思われる。1838年に完成させた「方程式の根の計算」に関する業績が認められ、1841年にチェビシェフは銀メダルを授与された。この研究の中で、チェビシェフはニュートン法に基づいたn代数方程式の近似解法を導いた。同年、彼は「最も卓越した業績の候補」と言える研究を完成させた。

1841年、チェビシェフの経済的状況は劇的に変化した。ロシアに飢饉が発生し、彼の両親はモスクワを離れざるを得なくなったのだ。両親はこれ以上彼を支えることができなくなったが、彼は数学の研究を続ける道を選び、6ヶ月にわたって修士課程への入学試験に備えた。チェビシェフは1843年10月に最終試験を通過し、1846年には「確率論の初等的解析に関するエッセイ」という修士論文を提出した。彼の伝記を著したプルドニコフは、チェビシェフがその頃出版された確率論の書籍、またはロシアの保険業における収支に関する書籍で学んだ後に、確率論の分野に興味を持ったのではないかという説を示している。

壮年期

1847年、チェビシェフは「対数を援用した積分について」と題された論文をサンクトペテルブルク大学に提出し、同大学で講師の資格を得た。この頃、レオンハルト・オイラーの業績のいくつかがフスによって再発見され、ヴィークトル・ブニャコフスキーによって編纂されていた。ブニャコフスキーはチェビシェフに対してこれらの研究を行うよう勧め、このことはチェビシェフの業績に影響を与えた。1848年、彼は「合同の理論」と題した博士論文を提出、1849年5月に学位を得た。1850年にはサンクトペテルブルク大学の特任教授に推挙され、1860年には(通常の)教授職を得た。25年にわたる教育業績により、1872年には功労教授となった。1882年、彼は大学を辞して残りの人生を研究に捧げた。

また1852年から1858年にかけて、彼はサンクトペテルブルク南郊のツァールスコエ・セロー(現在のプーシキン)にあったツァールスコエ・セロー・リセで実践的力学の講義を担当した。

科学的な業績により、彼は1856年科学アカデミーの準会員に推挙された。同年には特別会員、1858年には正会員となった。同じく1858年にはモスクワ大学名誉会員にもなり、その他にもいくつかの名誉職を得た。1856年には教育省の科学委員会に加わった。1859年には科学アカデミーの兵器部門の常任委員に任命され、さらに委員長として砲術や射撃理論に関連した問題を扱うことになった。フランス科学アカデミー1860年に彼を通信会員に、また1874年には外国人正会員に加えた。1893年、チェビシェフは(その3年前に設立された)サンクトペテルブルク数学会の名誉会員に推挙された。

チェビシェフは1894年11月26日、サンクトペテルブルクで死去した。

数学における功績

チェビシェフは確率論、統計学および数論における業績で知られている。チェビシェフの不等式は、標準偏差 ウィキメディア・コモンズには、パフヌティ・チェビシェフに関連するカテゴリがあります。


チェビシェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:11 UTC 版)

解析的整数論」の記事における「チェビシェフ」の解説

詳細は「パフヌティ・チェビシェフ」を参照 1848年1850年2つ論文において、ロシア人数学者パフヌティ・リヴォーヴィッチ・チェビシェフは素数分布漸近法則の証明試みた彼の仕事は、1859年リーマン名高い研究論文に先だって、(早くも1737年レオンハルト・オイラー研究同様に変数 s に対してゼータ関数 ζ(s)用いたことは注目に値する。そして漸近法則より僅かに弱い形、すなわち、x → ∞ のときの π(x)/(x/log x) の極限存在しえすれば、その極限は1に等しくなければならないことの証明成功したまた、無条件すべての x に対してこの比が上下から2つ明示的に与えられる1に近い定数によっておさえられることを証明した。チェビシェフの論文素数定理証明してはいないが、この π(x)評価は、任意の整数 n ≥ 2 に対して n と 2n の間に素数存在するというベルトランの仮説証明するには十分であった

※この「チェビシェフ」の解説は、「解析的整数論」の解説の一部です。
「チェビシェフ」を含む「解析的整数論」の記事については、「解析的整数論」の概要を参照ください。

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